甲陽軍鑑 / 品第四十
但それは主もたぬ大名の事、一萬の人數を引まはせども、大將を持て其先をする人は、敵に向ひ餘り遠慮だていかゞなり、其いはれは、いたらぬ者共侍大將の遠慮するを、敵におづると思ひめしつるゝ、そう軍が氣遣ひをして敵におぢ、味かたの威勢よはくなるなり、則政公内衆も其味にて、氏康に度々にしまげられてこそありつらめ、と高坂が云へば、
新字:但それは主もたぬ大名の事、一万の人数を引まはせども、大将を持て其先をする人は、敵に向ひ余り遠慮だていかゞなり、其いはれは、いたらぬ者共侍大将の遠慮するを、敵におづると思ひめしつるゝ、そう軍が気遣ひをして敵におぢ、味かたの威勢よはくなるなり、則政公内衆も其味にて、氏康に度々にしまげられてこそありつらめ、と高坂が云へば、
書き下し
但それは主もたぬ大名の事、一万の人数を引まはせども、大将を持て其先をする人は、敵に向ひ余り遠慮だていかゞなり、其いはれは、いたらぬ者共侍大将の遠慮するを、敵におづると思ひめしつるゝ、そう軍が気遣ひをして敵におぢ、味かたの威勢よはくなるなり、則政公内衆も其味にて、氏康に度々にしまげられてこそありつらめ、と高坂が云へば、
現代語訳
ただしそれは主を持たぬ大名の事。一万の人数を引き回せども、大将を持ってその先をする人は、敵に向かってあまり遠慮だてがいかがである。そのいわれは、至らぬ者どもが侍大将の遠慮するのを、敵に怖じると思い召し連れる。総軍が気遣いをして敵に怖じ、味方の威勢が弱くなるのである。則政公の内衆もその味にて、氏康に度々に押し曲げられてこそあったろうと高坂が言えば。
解説
大将本人の慎重さと、先手を預かる者の慎重さは別だという。先手が慎重に構えると、下の者はそれを怖じていると受け取り、軍全体が敵に怯えて威勢を落とす。同じ用心が、立場によって逆に働くという見方である。同じ用心が、立場によって逆に働くという見方である。先手が慎重に構えると、下の者はそれを怖じていると受け取ってしまうからである。
この章句が説くこと
遠慮先手士気立場威勢高坂
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『墨子』雜守禽子、問いて曰く、客、衆くして勇み、輕意にして威を見し、以て主人を駭かし、薪上、俱に上り、以て羊坽を為し、土を積みて髙きを為し、以て民に臨み、櫓、俱に前み、遂に之を城に屬け、兵弩、俱に上らば、之を為すこと奈何。子墨子曰く、子は羊坽の守を問うか。羊坽なる者は、之を攻むるの拙なる者なり。以て卒を勞するに足るも、以て城を害するに足らず。羊坽の政、逺く攻むれば則ち害も逺く、城に近づけば則ち害も近し。城に至らず。矢石、休む無く、左右、趣きて射る。蘭を柱の後と為し、望みて以て固くす。吾が鋭卒を厲まし、慎んで顧みしむる無かれ。守る者、下るを重んじ、攻むる者、去るを輕んず。勇を養い髙く奮えば、民心、百倍す。百執、數少なくして乃ち殆からず。士を作すこと休まず、禁禦する能わずして、遂に之を城に屬けば、雲梯を禦ぐの法を以て之に應ず。
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