甲陽軍鑑 / 品第四十七
此刻に日向大和と長閑と對决ありて長閑負たる故久敷改易仕り、典厩の御かいほうにて日向大和とも中をなをり候、あくる年、日向大和が正月二日の夜みたる夢を買ふて、ざれ事ながら其夢があたり、其年二月懸あひの有し時、諏訪のれんほが頸を取り、典厩の御詫言にて御前すみ、やう〳〵出仕申候、それなくば長閑は當家にならぶ人もなく人數もちにて有べきよし也、長閑出仕の時、信玄公の御意には夢を買ほどに思ひ入て歸參を心がけたれば、オノ〳〵典厩手にてれんぼをうちたると仰られ、めしいだされて有と各物がたりを聞候、
新字:此刻に日向大和と長閑と対決ありて長閑負たる故久敷改易仕り、典厩の御かいほうにて日向大和とも中をなをり候、あくる年、日向大和が正月二日の夜みたる夢を買ふて、ざれ事ながら其夢があたり、其年二月懸あひの有し時、諏訪のれんほが頸を取り、典厩の御詫言にて御前すみ、やう〳〵出仕申候、それなくば長閑は当家にならぶ人もなく人数もちにて有べきよし也、長閑出仕の時、信玄公の御意には夢を買ほどに思ひ入て帰参を心がけたれば、オノ〳〵典厩手にてれんぼをうちたると仰られ、めしいだされて有と各物がたりを聞候、
書き下し
此刻に日向大和と長閑と対決ありて長閑負たる故久敷改易仕り、典厩の御かいほうにて日向大和とも中をなをり候、あくる年、日向大和が正月二日の夜みたる夢を買ふて、ざれ事ながら其夢があたり、其年二月懸あひの有し時、諏訪のれんほが頸を取り、典厩の御詫言にて御前すみ、やう〳〵出仕申候、それなくば長閑は当家にならぶ人もなく人数もちにて有べきよし也、長閑出仕の時、信玄公の御意には夢を買ほどに思ひ入て帰参を心がけたれば、オノ〳〵典厩手にてれんぼをうちたると仰られ、めしいだされて有と各物がたりを聞候、
現代語訳
この刻に日向大和と長閑が対決あって、長閑が負けたるゆえに久しく改易仕り、典厩の御介抱にて日向大和とも仲を直り候。明くる年、日向大和が正月二日の夜に見たる夢を買うて、ざれ事ながらその夢が当たり、その年の二月、駆け合いのありし時、諏訪の蓮峰が首を取り、典厩の御詫び言にて御前が済み、ようよう出仕申し候。それなくば長閑は、当家に並ぶ人もなく人数持ちにてあるべきよしである。長閑が出仕の時、信玄公の御意には、夢を買うほどに思い入りて帰参を心がけたれば、典厩の手にて蓮峰を討ちたると仰せられ、召し出だされてあると、方々の物語りを聞き候。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『甲陽軍鑑』品第四十七信玄公二十の御歳信濃海尻の城にて本丸に小山田備中二の丸に日向大和·長坂長閑請取被居申候時分、長閑は左衛門尉と申、三人此城にさしおかる、地の侍衆こと〳〵く敵になりし時、長閑の分別にて、しきりに城をあくべきとの事なり、長閑出頭なる故、大和は長閑次第と申さるゝ、扨又小山田備中は本城におかせらるゝ過分に候へば、此城を枕にいたすべきと、かね〳〵存ずるとて立のかず、長閑と大和は城をあけてかへらるゝ、
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『甲陽軍鑑』品第四十七さるに付て典厩信繁·原美濃守·山本勘介此事始め終り言上也、信玄公きこしめし、寺川·赤口関何れもとしこばい、宿老にて男子道いまだ若きなりと見ゆる侍が、侍にいであふて伐つく事有べきに、さはなくして暫くおし付て罷有は、人にとりさへられたきとある事に相似たり、又押付らるゝ侍も武士が胸へ手をかけられかこると、一度にはや脇ざしをぬきつく所にてはなきか、
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『甲陽軍鑑』品第十六就中侍大将も武道きつかけの意旨をはづしなば、武士の道すたり、上の御ためあしう候其いわれは当屋形信玄公廿歳の御時、信州海尻の城にて是にまします四人の御撿使の内、長坂長閑は座敷などにては尤能き人なれ共、右海尻の城にて男道のきつかけをちがへ、城をあけて甲州へ帰らるゝに、小山田備中が男道を専らまもる故、城をもち詰め候てこそ、後つめありて信玄公勝利を得給ふ事、偏に備中が武道の嗜み勝れたる故なり、
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『甲陽軍鑑』品第四十七誠に右敵討の時、長助·長八兄弟は手前十分になき故喧嘩にいたしたるかと屋形様おぼしめすならば、跡にて誰もよく申しあげては有るまじ、さありてはかばねのうへの恥辱なり、さて又是は只の事にあらず、侍道の事なれば目安をもつて信玄公の御さばきに仕られ、それにてまけなば、それは両人次第と石田·矢崎·飯室三人長沼兄弟に異見いたす故、
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『甲陽軍鑑』品第四十七一言申事ならず、さて右の荒川新之丞·村井久之丞両人長坂長閑·跡部大炊をもつて落合彥介をうちて可参と申上る、長閑·大炊かねてより二人の牢人衆を別してかいほう申に付、則ち隠密にて披露いたす、牢人衆の内に荒川·村井両人にて落合彥介をうちて可参とのぞみ申す、此者どもは一段すみやかなる衆にて、余所においても数度の手抦をいたしたるよし様々御とりなし申あぐる、信玄公常の事をば大かたならず被入御念といへども、金丸平三郎御意に入たる者なれば、
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『甲陽軍鑑』品第四十七目安あがり御前公事になる、信玄公両方の目安御覧あり、各々六人の申分をきゝ給ひ則ち仰せ出さるゝ、第一長沼兄弟はほまれあり、子細は其塲にて仕合の手前はいかんもあれ、幼少にてはなれたる親の敵の他国にあるを、母など申す口にてうたんと思ひ入り、二十一や二十に成るを待ちかね、其年信濃へ参り候刻、出て二度帰るまじと武田の宮に願書をこめ、存分をとげたれば、たとへば様子あしくといふとも心ばせは大剛なり、