甲陽軍鑑 / 品第四十七
上下取さたには曲淵を御赦免候間、中々かやうには有まじきと存候外、如件事下々にてつもる事少も成がたき大將にて御座候、又各批判は惣別善があれば其次は惡事、惡事あれば其次善事なりと心得べしなどゝ皆申され候へども內藤修理申は、善の次には惡はいかほどもあれども、惡の次に善がまれなりと思へば、人は恥に遠しといふたは一段尤なり、かやうのことを長坂長閑老·跡部大炊介殿分別なさるべく候、
新字:上下取さたには曲淵を御赦免候間、中々かやうには有まじきと存候外、如件事下々にてつもる事少も成がたき大将にて御座候、又各批判は惣別善があれば其次は悪事、悪事あれば其次善事なりと心得べしなどゝ皆申され候へども内藤修理申は、善の次には悪はいかほどもあれども、悪の次に善がまれなりと思へば、人は恥に遠しといふたは一段尤なり、かやうのことを長坂長閑老·跡部大炊介殿分別なさるべく候、
書き下し
上下取さたには曲淵を御赦免候間、中々かやうには有まじきと存候外、如件事下々にてつもる事少も成がたき大将にて御座候、又各批判は惣別善があれば其次は悪事、悪事あれば其次善事なりと心得べしなどゝ皆申され候へども内藤修理申は、善の次には悪はいかほどもあれども、悪の次に善がまれなりと思へば、人は恥に遠しといふたは一段尤なり、かやうのことを長坂長閑老·跡部大炊介殿分別なさるべく候、
現代語訳
上下の取り沙汰には、曲淵を御赦免候あいだ、なかなかこのようにはあるまじきと存じ候ほか、件のごとし。事、下々にて積もる事が少しも成りがたき大将にて御座候。また方々の批判は、総別、善があればその次は悪事、悪事があればその次は善事であると心得べしなどと皆申され候えども、内藤修理が申すは、善の次には悪はいかほどもあれども、悪の次に善が稀であると思えば、人は恥に遠しと言うたは一段もっともなり。かようの事を長坂長閑老・跡部大炊介殿が分別なさるべく候。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻四文に云く、ほめて白品の中にあるを善と云ふ、そしりて黒品の中におくを悪と云ふと、亦云く、苦を受くべきを悪と云ふ、楽をまねくべきを善と云ふと、かくの如く子細に分別して、真実の善を見て行し、真実の悪を見てすつべきなり、僧は清浄の中より来れるものなれば、人の欲を起すまじきものを以てよしとし、きよきとするなり、示して云く、
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『正法眼蔵随聞記』巻四示して云く、善悪と云ふこと定め難し、世間の人は綾羅錦繡をきたるをよしと云ふ、麁布糞掃衣をわるしと云ふ、仏法には此れをよしとし、清しとし、金銀錦綾をわるしとし、けがれたりとす、かくの如く、一切のことにわたりて皆然り、予が如きも、聊か韻声をとゝのへ、文字をかきすぐるゝを、俗人等は尋常ならぬことに云もあり、亦有人は出家学道の身としてかくの如きのこと知れるとそしる人もあり、いづれをか定めて善として取り、悪としてすつへきぞ、
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『正法眼蔵随聞記』巻二夜話に云く、学道の人は人情を棄べきなり、人情をすつると云は、仏法に随がひ行くなり、世人多く小乗根性にて、善悪をわきまへ、是非を分ちて、是をとり非をすつるは、みな是れ小乗根性なり、只先つ世情をすてゝ仏道に入るべし、仏道に入るには、我こゝろに善悪を分ちて、よしと思ひ、悪しゝと思ふことをすてゝ、我が身よからん我が意なにとあらんと思ふ心をわすれて、善くもあれ、悪くもあれ、仏祖の言語行履に随がひゆくなり、
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葉隠・聞書第二悪事の引合いは貪瞋痴(とんじんち)、吉事の引合いは智仁勇(ちじんゆう)に洩れず、よく撰(え)り分けたるものなり。世上の悪事出来たる時、引合いて見るに、貪瞋痴と、吉事を引合いて見るに、智仁勇に洩れずとなり。
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『正法眼蔵随聞記』巻二吾が心に善しと思ひ、亦世人のよしと思ふこと、必らずしも善からず、然あれば人めもわすれ、吾が意をもすてゝ、仏教に随がひゆくなり、身もくるしく、心も愁ふるとも、我が身心をば一向にすてたるものなればと思ふて、苦るしくうれへつべきことなりとも、仏祖先徳の行履ならばなすべきなり、此の事はよきこと仏道にかなひたらめと思ふて、なしたく行じたくとも、もし仏祖の行履に無からん事はなすべからす、
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『正法眼蔵随聞記』巻五一日雑談の次でに示じて云く、人の心本より善悪なし、善悪は縁に随て起る、喩へば人発心して山林に入る時は、林下はよし人間は悪しとおほゆ、亦退屈の心にて山林を出る時は、山林は悪しとおぼゆ、是れ即ち決定して心に定相なし、縁に随て兎も角もなるなり、かるが故に善縁にあへば心よくなり、悪縁に近づけば心悪くなるなり、我が心本より悪しと思ふことなかれ、只善縁に随ふへきなり、