甲陽軍鑑 / 品第四十七
以上落合彥助と百姓と公事付雜言並三法印記言の事一曲淵御藏の前にて奉行衆へ慮外の後御書立をなされ、おく近習衆の內にて五人橫奉行と名付、公事の塲へ一人づゝ其年より一兩年の間被遣候、其五人は、一番に金丸筑前守が子平三郎、二番に長坂長閑が子源五郞、三番に彌日向大和が子藤九郞、四番に三枝土佐守が子善八郎、五番に眞田一德齋が子源五郞是れ五人なり、
新字:以上落合彥助と百姓と公事付雑言並三法印記言の事一曲淵御蔵の前にて奉行衆へ慮外の後御書立をなされ、おく近習衆の内にて五人横奉行と名付、公事の塲へ一人づゝ其年より一両年の間被遣候、其五人は、一番に金丸筑前守が子平三郎、二番に長坂長閑が子源五郎、三番に弥日向大和が子藤九郎、四番に三枝土佐守が子善八郎、五番に真田一徳斎が子源五郎是れ五人なり、
書き下し
以上落合彥助と百姓と公事付雑言並三法印記言の事一曲淵御蔵の前にて奉行衆へ慮外の後御書立をなされ、おく近習衆の内にて五人横奉行と名付、公事の塲へ一人づゝ其年より一両年の間被遣候、其五人は、一番に金丸筑前守が子平三郎、二番に長坂長閑が子源五郎、三番に弥日向大和が子藤九郎、四番に三枝土佐守が子善八郎、五番に真田一徳斎が子源五郎是れ五人なり、
現代語訳
以上。落合彦助と百姓との公事、付けたり、雑言ならびに三法印記言の事。一、曲淵が御蔵の前にて奉行衆へ慮外の後、御書き立てをなされ、奥近習衆の内にて五人を横奉行と名付け、公事の場へ一人ずつ、その年より一両年のあいだ遣わされ候。その五人は、一番に金丸筑前守の子の平三郎、二番に長坂長閑の子の源五郎、三番に日向大和の子の藤九郎、四番に三枝土佐守の子の善八郎、五番に真田一徳斎の子の源五郎、これ五人である。
解説
曲淵の一件の後、裁きの場に側近の子弟を一人ずつ立ち会わせる役を新設する。罰では止まらなかったので、見ている者を置くほうへ手を変えた。しかも名指しで五人が記録されている。罰では止まらなかったので、見ている者を置くほうへ手を変えた。しかも名指しで五人が記録されており、新しい役がどう始まったかまで残されている。
この章句が説くこと
横奉行新設立会近習公事信玄
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「離婁の明、公輸子の巧も、規矩を以てせざれば、方員を成すこと能わず。師曠の聰も、六律を以てせざれば、五音を正すこと能わず。堯舜の道も、仁政を以てせざれば、天下を平治すること能わず。今、仁心仁聞有りて、而も民其の澤を被らず、後世に法る可からざる者は、先王の道を行わざればなり。故に曰く、『徒善は以て政を為すに足らず、徒法は以て自ら行わるること能わず。』詩に云う、『愆らず忘れず、舊章に率い由る。』先王の法に遵いて過つ者は、未だ之れ有らざるなり。聖人既に目の力を竭くし、之に繼に規矩準繩を以てす。以て方員平直を為すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に耳力を竭くし、之に繼ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に心思を竭くし、之に繼ぐに人に忍びざるの政をを以てす。而うして仁天下を覆う。故に曰く、『高きを為すには、必ず丘陵に因り、下きを為すには、必ず川澤に因る。』政を為すに、先王の道に因らずんば、智と謂う可けんや。是を以て惟だ仁者のみ宜しく高位に在るべし。不仁にして高位に在るは、是れ其の惡を衆に播するなり。上に道揆無く、下に法守無く、朝は道を信ぜず、工は度を信ぜず、君子は義を犯し、小人は刑を犯して、國の存する所の者は幸いなり。故に曰く、『城郭完からず、兵甲多からざるは、國の災いに非ざるなり。田野辟けず、貨財聚まらざるは、國の害に非ざるなり。』上、禮無く、下、學無ければ、賊民興り、喪ぶること日無けん。詩に曰く、『天の方に蹶(くつがえす)えさんとする、然く泄泄すること無かれ。』泄泄とは、猶ほ沓沓のごときなり。君に事えて義無く、進退禮無く、言えば則ち先王の道を非る者は、猶ほ沓沓のごときなり。故に曰く、『難きを君に責む、之を恭と謂う。善を陳べ邪を閉づる、之を敬と謂う。吾が君能わずとす、之を賊と謂う。』」
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