甲陽軍鑑 / 品第四十七
原美濃が若さかり、おり合て、ながみの鑓をもつてつきころばす、白畑がかせもの、ねながら鑓をたぐり、原美濃がうでを少しづゝ二ヶ所きる、美濃が事なれば少しもさらず、つきつけてうごかぬ樣にいたすを、多田淡路が立ちまはり先づ兩腕をきり、其後とゞめをさす、後たゞしてきいてあれば、右の白畑が若黨ふか島の松本備前守が外戚腹の孫なりと聞く、此白畑大剛者なれ共、賤み過し內のわか黨に伐りころさるゝ、
新字:原美濃が若さかり、おり合て、ながみの鑓をもつてつきころばす、白畑がかせもの、ねながら鑓をたぐり、原美濃がうでを少しづゝ二ヶ所きる、美濃が事なれば少しもさらず、つきつけてうごかぬ様にいたすを、多田淡路が立ちまはり先づ両腕をきり、其後とゞめをさす、後たゞしてきいてあれば、右の白畑が若党ふか島の松本備前守が外戚腹の孫なりと聞く、此白畑大剛者なれ共、賤み過し内のわか党に伐りころさるゝ、
書き下し
原美濃が若さかり、おり合て、ながみの鑓をもつてつきころばす、白畑がかせもの、ねながら鑓をたぐり、原美濃がうでを少しづゝ二ヶ所きる、美濃が事なれば少しもさらず、つきつけてうごかぬ様にいたすを、多田淡路が立ちまはり先づ両腕をきり、其後とゞめをさす、後たゞしてきいてあれば、右の白畑が若党ふか島の松本備前守が外戚腹の孫なりと聞く、此白畑大剛者なれ共、賤み過し内のわか党に伐りころさるゝ、
現代語訳
原美濃が若盛り、居合わせて、長身の鑓をもって突き転ばす。白畑の加勢者は、寝ながら鑓をたぐり、原美濃の腕を少しずつ二か所斬る。美濃が事であれば少しも去らず、突き付けて動かぬようにいたすのを、多田淡路が立ち回りて、まず両腕を斬り、その後、止めを刺す。後で正して聞いてあれば、右の白畑の若党は、深島の松本備前守の外戚腹の孫であると聞く。この白畑は大剛者であるけれども、賤しみ過ごして内の若党に斬り殺さるる。
解説
取り押さえた後で身元を正すと、下男は名のある家の孫だった。大剛と呼ばれた者が、身内の若党を見下しすぎて討たれたと結ばれる。相手を軽く見た一点が、選び抜かれた者の最期を決めている。相手を軽く見た一点が、選び抜かれた者の最期を決めている。取り押さえてから正すと、下男は名のある家の孫だったと分かる。誰を相手にしているかを知らずに近づいたことが、そのまま命取りになった。
この章句が説くこと
白畑若党侮り来歴原美濃多田
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