甲陽軍鑑 / 品第四十
扨又中國大內殿文ありて、行義よけれ共人の目利下手にて取立給ふほどの侍十人が九人役にたゝざる者に知行を澤山くれ、人のせんさく不行義にて仕置惡しうあるにより、おとなの陶といふ、家老に國をかすめとらるゝやうになさるゝを、大內殿行義よけれど、あしき大將と人にいはれ給ふは、扇·鼻紙をば、たゞしう忘れずして刀·脇指を忘るゝ心なりと高坂彈正會根內匠におしゆるなり天正三乙亥年六月吉日高坂彈正書之
新字:扨又中国大内殿文ありて、行義よけれ共人の目利下手にて取立給ふほどの侍十人が九人役にたゝざる者に知行を沢山くれ、人のせんさく不行義にて仕置悪しうあるにより、おとなの陶といふ、家老に国をかすめとらるゝやうになさるゝを、大内殿行義よけれど、あしき大将と人にいはれ給ふは、扇·鼻紙をば、たゞしう忘れずして刀·脇指を忘るゝ心なりと高坂弾正会根内匠におしゆるなり天正三乙亥年六月吉日高坂弾正書之
書き下し
扨又中国大内殿文ありて、行義よけれ共人の目利下手にて取立給ふほどの侍十人が九人役にたゝざる者に知行を沢山くれ、人のせんさく不行義にて仕置悪しうあるにより、おとなの陶といふ、家老に国をかすめとらるゝやうになさるゝを、大内殿行義よけれど、あしき大将と人にいはれ給ふは、扇·鼻紙をば、たゞしう忘れずして刀·脇指を忘るゝ心なりと高坂弾正会根内匠におしゆるなり天正三乙亥年六月吉日高坂弾正書之
現代語訳
さてまた中国の大内殿は文があって行儀はよいけれども、人の目利きが下手にて、取り立て給うほどの侍は十人が九人役に立たない者に知行を沢山くれ、人の詮索が不行儀にて仕置きが悪しうあるにより、大人の陶という家老に国をかすめ取られるようになされるのを、大内殿は行儀はよいけれど悪しき大将と人に言われ給うのは、扇・鼻紙をば正しく忘れずして、刀・脇指を忘るる心であると、高坂弾正が曾根内匠に教えるのである。天正三年乙亥六月吉日、高坂弾正これを書く。
解説

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『甲陽軍鑑』品第四十一或る時会根内匠高坂弾正に問ふ、よき大将の批判無行義なる事有て、悪しき大将の行義よき事有は是何としたる事ぞ、願くは高坂殿ひはんをし給へと曽根がいへば、高坂いはく、それを縦へば侍の急の用にて家を出る時、刀·脇指をさし、扇·鼻紙をば忘れ罷出る儀有といへ共、刀·脇差は忘れす候、其如くよき大将は不行義にても主の名をうる事、或は徳ある義には少も悪しき事なし、
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『甲陽軍鑑』品第十二惣別能き大将は武辺の儀は不及申、文有て慈悲深く、行義能して常は柔なれども、いかり給ふ時は殿中のことはさて置ぬ、一国の内にて泣子も啼さす程威光つよし、就中国持たる大将をはじめ奉り、大身·中身·小身共に侍の名高き衆は、行義能物なり、物をよ七六尽くたとへてみるに、世間にある一切のはだか虫は、草木のはをくふて食付て巣を作り、変じて後は蝶になり、子をうみて明る年又元のでとと虫になり、其中に蠶といふ虫が桑のは計くふて余の草木を一切くはす、行義よけれは、自余の虫ともと生起の仕形は一なれ共、此蠶斗り人界にて宝になり候、去る程に末代迄も名大将と名をよぶ国主に無行義なるは一人もましまさす、
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『甲陽軍鑑』品第十三西国大内殿、東国に上杉殿とて、忝くも日本に両殿の大将にてましますに、小身の北条などをば只今迄のごとく家老衆に仰付けられ、げにはびこり候はば、そこにては御馬を出され誅罰尤の事一前代に御一家の扇谷殿豪老太田道官を誅し給ひてより、此家中大きにさだち今にいたる迄十人に八人は御当家山内殿へ出仕申処に、夫を御存知有りながら、本間·井又が作りことにまかせ、各御家の大身ども人質を召しをかれ恐怖をいだかせ給ふこと無勿体存じ候、以来此衆表裡においては我々両人に堅く御かゝり可被成候、
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『甲陽軍鑑』品第十二右申す利根の過たる大将は無行儀にて、第一に色を好む、それに付ても諸人に恨をうけ褒貶せられ給ふ、扨て又大身·中身·小身によらず色を好むとてもくるしからざる女人は、たよるは、ひがことにあらず、子細は侍か立身して身に随ての楽是れ也、其上子共繁昌のために然るべし、狼藉の色好みをさして無行儀と申候、行儀のあしき大将は義理を不知ラ無慈悲にして、無分別なればかざりて虚言を宣ふ間、自然軍などに勝ても五里·十里跡にゐて能き家老の我より先にて勝ちたるを、我自身手を砕きてし給ふやうに過言を被仰候、其老衆を猜み、後には必ず家老を追出すか、大方は誅せらる、是只利根の過ぎたる大将、作法如此、
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『甲陽軍鑑』品第四十爰におひて高坂弾正いはく、人をほむるも、そしるも我位ほどさたする時は被官といへども、よき者へは悪大将心ざし及ばさる故、めもさながらとゞかぬなり、惣別よき大将は三万·四万の人数をつれても五千の敵に気遣給ふ事、主の小人数にて大軍を引請、どこぞのつがひに切てとらんと思ふたる大身のむかしより、いかほど大きく成給ひて後までも気遣なさるゝ事、我意地にあてがひてかくの分なり、
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『甲陽軍鑑』品第四十子細は織田信長行義あらしと雖、人の目利上手にて、池田·柴田·滝川·木下·丹羽·河尻·佐久間などと云ふ者共、武辺なければ分別すぐれ、いづれも少身なる衆を目利有、取たて一廉の侍と近国·他国へ名をよばする、信長扇·鼻紙をばわすれて刀·脇指を忘ぬ心なり、