甲陽軍鑑 / 品第四十
又奥州よりかうさき織部と申す牢人此比甲州へきたる、此人物語に、奧州の侍大將伊達が子息に太郞信勝と同年なる是れは不思儀なり、萬海と云ふ行人の生れがはり、その首尾まさしく候由奇特と存じ紙面にあらはす後を考へのために如此なりと高坂彈正書之、
新字:又奥州よりかうさき織部と申す牢人此比甲州へきたる、此人物語に、奥州の侍大将伊達が子息に太郎信勝と同年なる是れは不思儀なり、万海と云ふ行人の生れがはり、その首尾まさしく候由奇特と存じ紙面にあらはす後を考へのために如此なりと高坂弾正書之、
書き下し
又奥州よりかうさき織部と申す牢人此比甲州へきたる、此人物語に、奥州の侍大将伊達が子息に太郎信勝と同年なる是れは不思儀なり、万海と云ふ行人の生れがはり、その首尾まさしく候由奇特と存じ紙面にあらはす後を考へのために如此なりと高坂弾正書之、
現代語訳
また奥州より神崎織部と申す牢人が、このごろ甲州へ来る。この人の物語りに、奥州の侍大将伊達の子息に、太郎信勝と同年である者がある。これは不思議である。万海という行人の生まれ替わりで、その首尾がまさしく候由。奇特と存じ紙面に表す。後の考えのためにこのとおりであると、高坂弾正がこれを書く。
解説
他国から来た牢人の話として、伊達の子が生まれ替わりだという噂を書き留める。真偽を判じるのではなく、後で考えるための材料として残すと断っている。聞いた話を、いつか意味が分かるかもしれないものとして置いている。聞いた話を、いつか意味が分かるかもしれないものとして置いている。真偽を判じるのではなく、後で考えるための材料として残すという。
この章句が説くこと
高坂記録伊達噂牢人後考
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