甲陽軍鑑 / 品第四十
然るに此少し以前に、日本國中にてケ樣の大將ありやと內藤修理に會根內匠とふ、內藤あさらへ笑ふていはく、旁隨分利口なれども、いまだわかき故せばき事をいはるゝ物哉、中國安藝國毛利元就は大內·尼子·大伴とて三人の大將は、國を八ケ國·七ケ國或は五ケ國よりうちなるはなし、此大將衆と毛利元就安藝國四分一ほど持ちて戰ひ終に勝利を得、右三大將の國を大方切り取り、今安藝の毛利とひどく、其元就は我朝にて昔しの事は扨置きぬ、近代尊氏·義貞より以後には件の元就公なりと內藤修理申さるれば、
新字:然るに此少し以前に、日本国中にてケ様の大将ありやと内藤修理に会根内匠とふ、内藤あさらへ笑ふていはく、旁随分利口なれども、いまだわかき故せばき事をいはるゝ物哉、中国安芸国毛利元就は大内·尼子·大伴とて三人の大将は、国を八ケ国·七ケ国或は五ケ国よりうちなるはなし、此大将衆と毛利元就安芸国四分一ほど持ちて戦ひ終に勝利を得、右三大将の国を大方切り取り、今安芸の毛利とひどく、其元就は我朝にて昔しの事は扨置きぬ、近代尊氏·義貞より以後には件の元就公なりと内藤修理申さるれば、
書き下し
然るに此少し以前に、日本国中にてケ様の大将ありやと内藤修理に会根内匠とふ、内藤あさらへ笑ふていはく、旁随分利口なれども、いまだわかき故せばき事をいはるゝ物哉、中国安芸国毛利元就は大内·尼子·大伴とて三人の大将は、国を八ケ国·七ケ国或は五ケ国よりうちなるはなし、此大将衆と毛利元就安芸国四分一ほど持ちて戦ひ終に勝利を得、右三大将の国を大方切り取り、今安芸の毛利とひどく、其元就は我朝にて昔しの事は扨置きぬ、近代尊氏·義貞より以後には件の元就公なりと内藤修理申さるれば、
現代語訳
しかるにこの少し以前に、日本国中でこのような大将があるかと内藤修理に曾根内匠が問う。内藤があしらい笑って言うには、方々は随分利口であるけれども、いまだ若いゆえに狭い事を言われるものかな。中国安芸国の毛利元就は、大内・尼子・大伴とて三人の大将は、国を八か国・七か国、あるいは五か国より内であるのはない。この大将衆と毛利元就は安芸国の四分の一ほどを持って戦い、ついに勝利を得、右の三大将の国を大方切り取り、今、安芸の毛利と響く。その元就は、我が朝にて昔の事はさて置きぬ、近代は尊氏・義貞より以後にはかの元就公であると内藤修理が申される。
解説

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