甲陽軍鑑 / 品第四十
右もろが入道は信濃侍也、是も信玄公へ忠節の人にて候が、弓箭の功者ほまれの武士なり、一淺利がいはく、能き大將の內にては女も手抦あり、惡き大將の下には覺への武士も臆病になる、子細は義經公にてしづか少々の男まさりに切りてまはる此靜は、伊勢わたらひいそむらのうまれなり、
新字:右もろが入道は信濃侍也、是も信玄公へ忠節の人にて候が、弓箭の功者ほまれの武士なり、一浅利がいはく、能き大将の内にては女も手抦あり、悪き大将の下には覚への武士も臆病になる、子細は義経公にてしづか少々の男まさりに切りてまはる此静は、伊勢わたらひいそむらのうまれなり、
書き下し
右もろが入道は信濃侍也、是も信玄公へ忠節の人にて候が、弓箭の功者ほまれの武士なり、一浅利がいはく、能き大将の内にては女も手抦あり、悪き大将の下には覚への武士も臆病になる、子細は義経公にてしづか少々の男まさりに切りてまはる此静は、伊勢わたらひいそむらのうまれなり、
現代語訳
右の室が入道は信濃侍である。これも信玄公へ忠節の人でございますが、弓箭の功者、誉れの武士である。一、浅利が言うには、よい大将の内では女も手柄がある。悪い大将の下には、覚えの武士も臆病になる。子細は、義経公にて静が少々の男勝りに斬って回る。この静は、伊勢渡会磯村の生まれである。
解説
人の働きは、その人の資質より上に立つ者で決まるという言い方である。よい大将の下では女さえ手柄を立て、悪い大将の下では名の通った武士が臆病になる。証しとして、義経のもとで斬って回った静が持ち出される。証しとして、義経のもとで斬って回った静が持ち出される。よい大将の下では女さえ手柄を立て、悪い大将の下では名のある武士が臆病になる。
この章句が説くこと
大将手柄臆病浅利静義経
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