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淮南子 / 俶真訓

人莫鑑於流沫,而鑑於止水者,以其靜也;莫窺形於生鐵,而窺於明鏡者,以睹其易也。夫唯易且靜,形物之性也。由此觀之,用也必假之於弗用也,是故虛室生白,吉祥止也。夫鑑明者塵垢弗能薶,神清者嗜欲弗能亂。精神已越於外,而事復返之,是失之於本,而求之於末也。外內無符而欲與物接,弊其玄光而求知之于耳目,是釋其炤炤,而道其冥冥也,是之謂失道。心有所至而神喟然在之,反之於虛則消鑠滅息,此聖人之游也。故古之治天下也,必達乎性命之情。其舉錯未必同也,其合於道一也。

新字:人莫鑑於流沫,而鑑於止水者,以其静也;莫窺形於生鉄,而窺於明鏡者,以睹其易也。夫唯易且静,形物之性也。由此観之,用也必仮之於弗用也,是故虚室生白,吉祥止也。夫鑑明者塵垢弗能薶,神清者嗜欲弗能乱。精神已越於外,而事復返之,是失之於本,而求之於末也。外内無符而欲与物接,弊其玄光而求知之于耳目,是釈其炤炤,而道其冥冥也,是之謂失道。心有所至而神喟然在之,反之於虚則消鑠滅息,此聖人之游也。故古之治天下也,必達乎性命之情。其舉錯未必同也,其合於道一也。

書き下し

人流沫に鑑みずして、止水に鑑みる者は、其の靜かなるを以てなり。形を生鐵に窺わずして、明鏡に窺う者は、其の易らかなるを睹るを以てなり。夫れ唯だ易らかにして且つ靜かなるは、物を形す性なり。此に由りて之を觀れば、用は必ず之を弗用に假る。是の故に虛室白を生じ、吉祥止まるなり。夫れ鑑の明らかなる者は塵垢薶む能わず、神の清き者は嗜欲亂す能わず。精神已に外に越えて、事復た之に返るは、是れ之を本に失いて、之を末に求むるなり。外内符無くして物と接せんと欲し、其の玄光を弊いて之を知るを耳目に求むるは、是れ其の炤炤を釋てて、其の冥冥に道くなり。是を之れ道を失うと謂う。心至る所有りて神喟然として之に在り、之を虛に反せば則ち消鑠滅息す。此れ聖人の游なり。故に古の天下を治むるや、必ず性命の情に達す。其の舉錯未だ必ずしも同じからざるも、其の道に合するは一なり。

現代語訳

人が流れる泡に姿を映さず、止まった水に映すのは、それが静かだからである。姿を生の鉄に映さず、明るい鏡に映すのは、それが平らかなのを見るからである。ただ平らかで静かであることが、物を映す性質である。ここから見れば、用いることは必ず用いないことを借りている。だからうつろな部屋に白い明るさが生まれ、めでたさがそこにとどまる。鏡が明るければ塵や垢が埋められず、神が清ければ欲が乱せない。精神がすでに外へ越え出ていて、事がまたそこへ返るのは、根本で失って末で求めることである。外と内が合っていないのに物と接しようとし、その奥深い光を覆っておいて知ることを耳目に求めるのは、その明るさを捨てて暗がりへ導くことである。これを道を失うという。心がどこかに至って神がふっとそこにあるとき、これをうつろさに返せば溶けて消える。これが聖人の遊びである。だから昔、天下を治めるときは、必ず性命の実情に通じていた。その振る舞いは必ずしも同じではないが、道に合っている点では一つである。

解説

映すという働きを、静けさと平らかさの二条件に分解した段です。泡立つ水にも、ざらついた鉄にも姿は映らない。そこから一般則が引かれます。「用は必ず之を弗用に假る」。使える状態は、使っていない部分に支えられている。うつろな部屋に明るさが生まれる、という一句もそこに続きます。後半は診断です。外に出た心を、また外で取り返そうとするのは順序が逆だ、と。「之を本に失いて、之を末に求むるなり」。

この章句が説くこと

人流沫に鑑みずして止水に鑑みる者は其の静かなるを以てなり夫れ唯だ易らかにして且つ静かなるは物を形す性なり用は必ず之を弗用に仮る是れ之を本に失いて之を末に求むるなり余白

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