甲陽軍鑑 / 品第四十
もろ〳〵のさかひめ、侍大將衆へ近國·他國の大將の行儀·作法·仕形·聞出し次第·善惡共に一ッ書にて言上いたせとあるに付、或年遠州いぬい天野宮內右衞門と申す侍大將の所より進上仕る書付に、美濃の岐阜織田信長へまはり一尺の桃三ツなりたるを枝折りに仕り、霜月中の十日にあげつれば、信長指し引きのさへたる名大將にて、うへはことをやぶりても、内心には時により一段ねれたる事の多き武士にてましませば、右の桃を大きに心いはひして、一ツは信長きこしめし、又一ツは嫡子城之助信忠へ參らせられ、三ツめをば遠州濱松德川家康公へ送り給ふ、
新字:もろ〳〵のさかひめ、侍大将衆へ近国·他国の大将の行儀·作法·仕形·聞出し次第·善悪共に一ッ書にて言上いたせとあるに付、或年遠州いぬい天野宮内右衛門と申す侍大将の所より進上仕る書付に、美濃の岐阜織田信長へまはり一尺の桃三ツなりたるを枝折りに仕り、霜月中の十日にあげつれば、信長指し引きのさへたる名大将にて、うへはことをやぶりても、内心には時により一段ねれたる事の多き武士にてましませば、右の桃を大きに心いはひして、一ツは信長きこしめし、又一ツは嫡子城之助信忠へ参らせられ、三ツめをば遠州浜松徳川家康公へ送り給ふ、
書き下し
もろ〳〵のさかひめ、侍大将衆へ近国·他国の大将の行儀·作法·仕形·聞出し次第·善悪共に一ッ書にて言上いたせとあるに付、或年遠州いぬい天野宮内右衛門と申す侍大将の所より進上仕る書付に、美濃の岐阜織田信長へまはり一尺の桃三ツなりたるを枝折りに仕り、霜月中の十日にあげつれば、信長指し引きのさへたる名大将にて、うへはことをやぶりても、内心には時により一段ねれたる事の多き武士にてましませば、右の桃を大きに心いはひして、一ツは信長きこしめし、又一ツは嫡子城之助信忠へ参らせられ、三ツめをば遠州浜松徳川家康公へ送り給ふ、
現代語訳
信玄公の御仕置きに、もろもろの境目の侍大将衆へ、近国・他国の大将の行儀・作法・仕形を、聞き出し次第、善悪ともに一つ書きで言上いたせとあることについて、ある年、遠州の犬居の天野宮内右衛門と申す侍大将の所から進上いたす書付に、美濃の岐阜の織田信長へ回って、一尺の桃が三つなったのを枝折りにして霜月中の十日に上げたところ、信長は差し引きの冴えた名大将で、上では事を破っても内心では時によって一段と練れた事の多い武士でおられるから、右の桃を大いに心祝いして、一つは信長が召し上がり、また一つは嫡子の城之助信忠へ参らせられ、三つめを遠州浜松の徳川家康公へ送られる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「離婁の明、公輸子の巧も、規矩を以てせざれば、方員を成すこと能わず。師曠の聰も、六律を以てせざれば、五音を正すこと能わず。堯舜の道も、仁政を以てせざれば、天下を平治すること能わず。今、仁心仁聞有りて、而も民其の澤を被らず、後世に法る可からざる者は、先王の道を行わざればなり。故に曰く、『徒善は以て政を為すに足らず、徒法は以て自ら行わるること能わず。』詩に云う、『愆らず忘れず、舊章に率い由る。』先王の法に遵いて過つ者は、未だ之れ有らざるなり。聖人既に目の力を竭くし、之に繼に規矩準繩を以てす。以て方員平直を為すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に耳力を竭くし、之に繼ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に心思を竭くし、之に繼ぐに人に忍びざるの政をを以てす。而うして仁天下を覆う。故に曰く、『高きを為すには、必ず丘陵に因り、下きを為すには、必ず川澤に因る。』政を為すに、先王の道に因らずんば、智と謂う可けんや。是を以て惟だ仁者のみ宜しく高位に在るべし。不仁にして高位に在るは、是れ其の惡を衆に播するなり。上に道揆無く、下に法守無く、朝は道を信ぜず、工は度を信ぜず、君子は義を犯し、小人は刑を犯して、國の存する所の者は幸いなり。故に曰く、『城郭完からず、兵甲多からざるは、國の災いに非ざるなり。田野辟けず、貨財聚まらざるは、國の害に非ざるなり。』上、禮無く、下、學無ければ、賊民興り、喪ぶること日無けん。詩に曰く、『天の方に蹶(くつがえす)えさんとする、然く泄泄すること無かれ。』泄泄とは、猶ほ沓沓のごときなり。君に事えて義無く、進退禮無く、言えば則ち先王の道を非る者は、猶ほ沓沓のごときなり。故に曰く、『難きを君に責む、之を恭と謂う。善を陳べ邪を閉づる、之を敬と謂う。吾が君能わずとす、之を賊と謂う。』」
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孫子・勢篇勢に任ずる者は、其の人を戦わしむるや、木石を転ずるが如し。木石の性は、安ければ則ち静かに、危ければ則ち動き、方なれば則ち止まり、円なれば則ち行く。
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『韓非子』定法第四十三君術無ければ則ち上に弊われ、臣法無ければ則ち下に亂る。此れ一も無かる可からず、皆な帝王の具なり。
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孫子・始計篇法とは、曲制・官道・主用なり。
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李衛公問対・卷上制有るの兵は、能無きの将なるも、敗る可からざるなり。制無きの兵は、能有るの将なるも、勝つ可からざるなり。
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『墨子』尚同中故に古者、聖王は唯だ壹に尚同を以て正長と為す。是れ上下、請謁して通を為す。上に隠事遺利有れば、下、得て之を利し、下に蓄怨積害有れば、上、得て之を除く。是を以て數千萬里の外に善を為す者有れば、其の室人未だ徧く知らず、鄉里未だ徧く聞かざるに、天子、得て之を賞す。數千萬里の外に不善を為す者有れば、其の室人未だ徧く知らず、郷里未だ徧く聞かざるに、天子、得て之を罰す。是を以て天下の人を舉げて皆な恐懼振動惕慄して、敢えて淫暴を為さず、曰く、「天子の視聴や神なり」と。先王の言に曰く、「神に非ざるなり。夫れ唯だ能く人の耳目をして己が視聴を助けしめ、人の吻をして己が言談を助けしめ、人の心をして己が思慮を助けしめ、人の股肱をして己が動作を助けしむればなり」と。之を視聴するを助くる者衆ければ、則ち其の聞見する所の者は逺し。之を言談するを助くる者衆ければ、則ち其の徳音の撫循する所の者は博し。之を思慮するを助くる者衆ければ、則ち其の謀慮は速やかに得らる。之を動作するを助くる者衆ければ、則ち其の事を舉ぐること速やかに成る。