甲陽軍鑑 / 品第四十
三番にゑち者と申は、小袖·諸道具をもいつくしくばかり思案して、女の好やうに仕り、微若なる奴を、ゑち者とて何の役にもたゝぬ臆病者にて、廿に餘り卅に成てもよき事なく、はぢを恥と思はず、殊更其人は口たけて明暮はかにもたこぬ、はをぬき、所躰をよくしたがり、たけき兵の權だかなるをまねそこなひ、ざとうのすねるごとくに、所ごとにて大口を聞、武篇の時は人なみより內のしらみ頸のつれをも漸拾ひ、親兄弟の敵ありてもねらはず、ぶせんさくなる事を遠慮なしに申、戯げ者をば我等の同心に仕らず候と土屋右衞門尉·弟金丸助六·同惣藏三人に山縣三郞兵衞おしゆるなり、
新字:三番にゑち者と申は、小袖·諸道具をもいつくしくばかり思案して、女の好やうに仕り、微若なる奴を、ゑち者とて何の役にもたゝぬ臆病者にて、廿に余り卅に成てもよき事なく、はぢを恥と思はず、殊更其人は口たけて明暮はかにもたこぬ、はをぬき、所体をよくしたがり、たけき兵の権だかなるをまねそこなひ、ざとうのすねるごとくに、所ごとにて大口を聞、武篇の時は人なみより内のしらみ頸のつれをも漸拾ひ、親兄弟の敵ありてもねらはず、ぶせんさくなる事を遠慮なしに申、戯げ者をば我等の同心に仕らず候と土屋右衛門尉·弟金丸助六·同惣蔵三人に山県三郎兵衛おしゆるなり、
書き下し
三番にゑち者と申は、小袖·諸道具をもいつくしくばかり思案して、女の好やうに仕り、微若なる奴を、ゑち者とて何の役にもたゝぬ臆病者にて、廿に余り卅に成てもよき事なく、はぢを恥と思はず、殊更其人は口たけて明暮はかにもたこぬ、はをぬき、所体をよくしたがり、たけき兵の権だかなるをまねそこなひ、ざとうのすねるごとくに、所ごとにて大口を聞、武篇の時は人なみより内のしらみ頸のつれをも漸拾ひ、親兄弟の敵ありてもねらはず、ぶせんさくなる事を遠慮なしに申、戯げ者をば我等の同心に仕らず候と土屋右衛門尉·弟金丸助六·同惣蔵三人に山県三郎兵衛おしゆるなり、
現代語訳
三番にえち者と申すのは、小袖・諸道具をも美しくとばかり思案して、女の好むように仕立て、なよなよとした奴をえち者といって、何の役にも立たない臆病者で、二十を過ぎ三十になってもよい事がなく、恥を恥と思わず、ことさらその人は口だけたけて、明け暮れ何の役にも立たない、刃を抜き、体裁をよくしたがり、猛き兵の権高なのを真似そこない、座頭がすねるように所ごとで大口を利き、武辺の時は人並みより内で虱首の連れをもようやく拾い、親兄弟の敵があっても狙わず、詮索のない事を遠慮なしに申す。戯け者は我らの同心にはいたしませんと、土屋右衛門尉・弟の金丸助六・同じく惣蔵の三人に、山県三郎兵衛が教えるのである。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻六示して云く、人を愧づべくんば明眼の人を愧づべし、予在宋の時天童の浄和尚、侍者に請するにいはく、元子は外国人たりといへども、器量人なりと云ふて請す、予堅く此を辞す、其故は和国に聞へん為にも、学道の稽古の為にも、大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外国人として大叢林の侍者たらんこと、大国に人なきに似たりと難ずることやあらん、最もはぢつべしと思ひて、書状を以て此旨をのべしかば、浄和尚聞て、国を重んじ、人を愧づることを感じ、許して更に請し玉はざりしなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻三是れに愧て辞すといへども、猶終に首座に請す、其の後元首座此の詞はを記録して、自らを愧しめて師の美言を顕はす、今ま是を案ずるに、昇進を望み、物のかしらとなり、長老とならんと思ふことをば、古人是を慚ぢしむ、只道を悟らんとのみ思ふて余事あるべからず、
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論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
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論語・泰伯篇子曰く、篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす。危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道有れば則ち見れ、道無ければ則ち隠る。邦に道有りて、貧しく且つ賤しきは、恥なり。邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり。
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説苑・立節王子比干身を殺して以て其の忠を作し、伯夷叔斉身を殺して以て其の廉を成す。此の三子なる者は、皆天下の通士なり。豈に其の身を愛せざらんや。以為えらく夫れ義の立たず、名の著れざるは是れ士の恥なりと。故に身を殺して以て其の行いを遂ぐ。此に因りて之を観れば、卑賤貧窮は、士の恥に非ざるなり。夫れ士の恥ずる所の者は、天下忠を挙げて士与らず、信を挙げて士与らず、廉を挙げて士与らざるなり。三者身に在りて、名後世に伝わり、日月と並びて息まず、無道の世と雖も汚す能わず。然れば則ち死を好みて生を悪むに非ざるなり、富貴を悪みて貧賤を楽しむに非ざるなり、其の道に由り其の理に遵い、尊貴己に及ばば、士辞せざるなり。孔子曰わく、「富にして求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾亦之を為さん。富にして求む可からざれば、吾が好む所に従わん」と。大聖の操なり。詩に云う、「我が心石に匪ず、転ず可からず。我が心席に匪ず、巻く可からず」と。己を失わざるを言うなり。己を失わざる能わば、然る後与に難を済う可し。此れ士君子の衆に越ゆる所以なり。
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『甲陽軍鑑』品第六諏訪はつしやうの御甲ばかりゆるしまいらせらると也。一北条氏康十二歳の時其比は鉄炮珍らしきとて、諸侍悉く打習時氏康鉄炮の音に驚き給ふ、諸人目をひきわらひ申す、氏康口惜しく思召し小刀をもつて自害をせんとし給ふ時、各々其小刀を取り奉れば涙をながし給ふ、御もりの清水が申やうは、たけき武士が物に驚くことむかしより申伝たり、其謂れは馬もかんのよきは、ねずなきにかゝり、人に賞翫せらる、物に驚くをばはめた事に致すといひたれば、其時しづまり給ふ、是氏康公十二の御歳也、