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甲陽軍鑑 / 品第四十

稍や有て仰らるゝ、長坂長閑尋べき事あり、三河の國岡崎家康と云ふ若者は當年はいくつばかりの侍ときゝつると尋給ふ、長坂長閑申は、寅の歲にて當年二十五歲と承り及び候、信玄公仰らるゝ、義元討死の時節より當年まで七年なるが、件の家康十九歳より今までに三河國一國をおさめ候に付、しかも彼國日本六十餘州にて人のかぞゆる侍の武篇持く國なれば、合戰の儀年に二度はあれ共一度なき事なし、旣に家康或時は淨土寺へ行き知識にあひ、念佛の十念と云ふ物をとり疑がひをきつて、敵三千ばかりを我人數二百の內外にて家康勝利を得たる共きゝつるぞ、

新字:稍や有て仰らるゝ、長坂長閑尋べき事あり、三河の国岡崎家康と云ふ若者は当年はいくつばかりの侍ときゝつると尋給ふ、長坂長閑申は、寅の歳にて当年二十五歳と承り及び候、信玄公仰らるゝ、義元討死の時節より当年まで七年なるが、件の家康十九歳より今までに三河国一国をおさめ候に付、しかも彼国日本六十余州にて人のかぞゆる侍の武篇持く国なれば、合戦の儀年に二度はあれ共一度なき事なし、旣に家康或時は浄土寺へ行き知識にあひ、念仏の十念と云ふ物をとり疑がひをきつて、敵三千ばかりを我人数二百の内外にて家康勝利を得たる共きゝつるぞ、

書き下し

稍や有て仰らるゝ、長坂長閑尋べき事あり、三河の国岡崎家康と云ふ若者は当年はいくつばかりの侍ときゝつると尋給ふ、長坂長閑申は、寅の歳にて当年二十五歳と承り及び候、信玄公仰らるゝ、義元討死の時節より当年まで七年なるが、件の家康十九歳より今までに三河国一国をおさめ候に付、しかも彼国日本六十余州にて人のかぞゆる侍の武篇持く国なれば、合戦の儀年に二度はあれ共一度なき事なし、旣に家康或時は浄土寺へ行き知識にあひ、念仏の十念と云ふ物をとり疑がひをきつて、敵三千ばかりを我人数二百の内外にて家康勝利を得たる共きゝつるぞ、

現代語訳

しばらくあって仰せられる。長坂長閑、尋ねるべき事がある。三河の国の岡崎の家康という若者は、当年いくつばかりの侍と聞いているかと尋ねられた。長坂長閑が申すには、寅の年で当年二十五歳と承り及んでおります。信玄公が仰せられる。義元が討死の時節から当年まで七年になるが、くだんの家康は十九歳から今までに三河一国を治めたことについて、しかもかの国は日本六十余州で人が数える侍の武辺を持つ国であるから、合戦の儀は年に二度はあっても一度ない事はない。すでに家康はある時は浄土寺へ行き知識に会い、念仏の十念というものを取って疑いを断ち、敵三千ばかりを我が人数二百の内外で家康は勝利を得たとも聞いたぞ。

解説

歌の短冊を見せられた信玄が、しばらく黙ってから話題を家康に変える。同じ若い大名でも、こちらは十九から二十五までに一国を治め、二百で三千に勝っている。何も言わずに比べる相手を出すという答え方で、前段の沈黙の意味がここで分かる。何も言わずに比べる相手を出すという答え方で、前段の沈黙の意味がここで分かる。歌の話に、家康の実績で返している。

この章句が説くこと

家康比較合戦三河信玄

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