甲陽軍鑑 / 品第十六
侍大將より武者奉行大切の心持の事付喧嘩の沙汰之事永祿十一年戊辰歳信玄公御搆への丑寅の方に、毘沙門堂を立て給ふ時、爰に越後牢人布施與三兵衞·同牛の助·虎の介と云ふ兄弟三人の侍と、諏訪彌左衞門と草履取りの口論に付て出入有之、彼者ども少身たりといへども各御用に立つ侍どもなれば、信玄公おしみ給ひ四郞勝賴公を御使になされ、兩方堪忍仕るべき旨仰せ出さる、布施兄弟委細畏て御請けをば申せども、さすがに武き大將の弓矢の盛りにて、諸國の諸牢人武士のあつまりなれば、諸傍輩を恥ぢて其三日目についに喧嘩に仕り、
新字:侍大将より武者奉行大切の心持の事付喧嘩の沙汰之事永禄十一年戊辰歳信玄公御搆への丑寅の方に、毘沙門堂を立て給ふ時、爰に越後牢人布施与三兵衛·同牛の助·虎の介と云ふ兄弟三人の侍と、諏訪弥左衛門と草履取りの口論に付て出入有之、彼者ども少身たりといへども各御用に立つ侍どもなれば、信玄公おしみ給ひ四郎勝頼公を御使になされ、両方堪忍仕るべき旨仰せ出さる、布施兄弟委細畏て御請けをば申せども、さすがに武き大将の弓矢の盛りにて、諸国の諸牢人武士のあつまりなれば、諸傍輩を恥ぢて其三日目についに喧嘩に仕り、
書き下し
侍大将より武者奉行大切の心持の事付喧嘩の沙汰之事永禄十一年戊辰歳信玄公御搆への丑寅の方に、毘沙門堂を立て給ふ時、爰に越後牢人布施与三兵衛·同牛の助·虎の介と云ふ兄弟三人の侍と、諏訪弥左衛門と草履取りの口論に付て出入有之、彼者ども少身たりといへども各御用に立つ侍どもなれば、信玄公おしみ給ひ四郎勝頼公を御使になされ、両方堪忍仕るべき旨仰せ出さる、布施兄弟委細畏て御請けをば申せども、さすがに武き大将の弓矢の盛りにて、諸国の諸牢人武士のあつまりなれば、諸傍輩を恥ぢて其三日目についに喧嘩に仕り、
現代語訳
侍大将より武者奉行が大切であることの心持ちのこと。付けたり、喧嘩の沙汰のこと。永禄十一年戊辰の年、信玄公の御構えの丑寅の方角に毘沙門堂を建てられた時、ここに越後の牢人である布施与三兵衛・同じく牛之助・虎之介という兄弟三人の侍と、諏訪弥左衛門の草履取りとの口論について出入りがあった。この者どもは小身であるといっても、それぞれ御用に立つ侍どもであるので、信玄公は惜しまれて、四郎勝頼公を御使いになされ、双方は堪忍いたすべき旨を仰せ出された。布施兄弟は委細畏まって御請けは申したけれども、さすがに猛き大将が弓矢の盛りであって、諸国の諸牢人武士の集まりであるから、諸傍輩に恥じて、その三日目についに喧嘩をしたのである。
解説
この章句が説くこと
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『正法眼蔵随聞記』巻六示して云く、人を愧づべくんば明眼の人を愧づべし、予在宋の時天童の浄和尚、侍者に請するにいはく、元子は外国人たりといへども、器量人なりと云ふて請す、予堅く此を辞す、其故は和国に聞へん為にも、学道の稽古の為にも、大切なれども、衆中に具眼の人ありて、外国人として大叢林の侍者たらんこと、大国に人なきに似たりと難ずることやあらん、最もはぢつべしと思ひて、書状を以て此旨をのべしかば、浄和尚聞て、国を重んじ、人を愧づることを感じ、許して更に請し玉はざりしなり、
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『正法眼蔵随聞記』巻三是れに愧て辞すといへども、猶終に首座に請す、其の後元首座此の詞はを記録して、自らを愧しめて師の美言を顕はす、今ま是を案ずるに、昇進を望み、物のかしらとなり、長老とならんと思ふことをば、古人是を慚ぢしむ、只道を悟らんとのみ思ふて余事あるべからず、
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論語・憲問篇憲、恥を問う。子曰わく、邦に道あれば穀し、邦に道無くして穀するは、恥なり。
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論語・泰伯篇子曰く、篤く信じて学を好み、死を守りて道を善くす。危邦には入らず、乱邦には居らず。天下道有れば則ち見れ、道無ければ則ち隠る。邦に道有りて、貧しく且つ賤しきは、恥なり。邦に道無くして、富み且つ貴きは、恥なり。
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説苑・立節王子比干身を殺して以て其の忠を作し、伯夷叔斉身を殺して以て其の廉を成す。此の三子なる者は、皆天下の通士なり。豈に其の身を愛せざらんや。以為えらく夫れ義の立たず、名の著れざるは是れ士の恥なりと。故に身を殺して以て其の行いを遂ぐ。此に因りて之を観れば、卑賤貧窮は、士の恥に非ざるなり。夫れ士の恥ずる所の者は、天下忠を挙げて士与らず、信を挙げて士与らず、廉を挙げて士与らざるなり。三者身に在りて、名後世に伝わり、日月と並びて息まず、無道の世と雖も汚す能わず。然れば則ち死を好みて生を悪むに非ざるなり、富貴を悪みて貧賤を楽しむに非ざるなり、其の道に由り其の理に遵い、尊貴己に及ばば、士辞せざるなり。孔子曰わく、「富にして求む可くんば、執鞭の士と雖も、吾亦之を為さん。富にして求む可からざれば、吾が好む所に従わん」と。大聖の操なり。詩に云う、「我が心石に匪ず、転ず可からず。我が心席に匪ず、巻く可からず」と。己を失わざるを言うなり。己を失わざる能わば、然る後与に難を済う可し。此れ士君子の衆に越ゆる所以なり。
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『甲陽軍鑑』品第六諏訪はつしやうの御甲ばかりゆるしまいらせらると也。一北条氏康十二歳の時其比は鉄炮珍らしきとて、諸侍悉く打習時氏康鉄炮の音に驚き給ふ、諸人目をひきわらひ申す、氏康口惜しく思召し小刀をもつて自害をせんとし給ふ時、各々其小刀を取り奉れば涙をながし給ふ、御もりの清水が申やうは、たけき武士が物に驚くことむかしより申伝たり、其謂れは馬もかんのよきは、ねずなきにかゝり、人に賞翫せらる、物に驚くをばはめた事に致すといひたれば、其時しづまり給ふ、是氏康公十二の御歳也、