甲陽軍鑑 / 品第十三
しかも右大將より以後公方家代々の式法を取り立て、まつりごとを能く行い給ふこと、中興に尊氏公よりあそばす、いかにも事を全く仕置きをし給へば、兩公方と定めらるゝこの儀尤なり、旣に都の公方に義詮公御下に武衞·細川·品山是れ三管領なり、一式·山名·京極·赤松·是れ又四職なり、扨て鎌倉の公方に持氏公をしすへ參らせられ、御下に兩上杉もとは藤原内大臣冬次の子孫にて、御兄弟なり、台兄は鎌倉にて山內に屋形有りて、則ら山内と申し、舍弟は扇谷に屋敷有る故扇谷と云ふ、然に京鎌倉ともに代々の後樣子ありて、都の公方より鎌倉の公方を誅罰し給ふ事、永享十二年庚申の歲なり、
新字:しかも右大将より以後公方家代々の式法を取り立て、まつりごとを能く行い給ふこと、中興に尊氏公よりあそばす、いかにも事を全く仕置きをし給へば、両公方と定めらるゝこの儀尤なり、旣に都の公方に義詮公御下に武衛·細川·品山是れ三管領なり、一式·山名·京極·赤松·是れ又四職なり、扨て鎌倉の公方に持氏公をしすへ参らせられ、御下に両上杉もとは藤原内大臣冬次の子孫にて、御兄弟なり、台兄は鎌倉にて山内に屋形有りて、則ら山内と申し、舎弟は扇谷に屋敷有る故扇谷と云ふ、然に京鎌倉ともに代々の後様子ありて、都の公方より鎌倉の公方を誅罰し給ふ事、永享十二年庚申の歳なり、
書き下し
しかも右大将より以後公方家代々の式法を取り立て、まつりごとを能く行い給ふこと、中興に尊氏公よりあそばす、いかにも事を全く仕置きをし給へば、両公方と定めらるゝこの儀尤なり、旣に都の公方に義詮公御下に武衛·細川·品山是れ三管領なり、一式·山名·京極·赤松·是れ又四職なり、扨て鎌倉の公方に持氏公をしすへ参らせられ、御下に両上杉もとは藤原内大臣冬次の子孫にて、御兄弟なり、台兄は鎌倉にて山内に屋形有りて、則ら山内と申し、舎弟は扇谷に屋敷有る故扇谷と云ふ、然に京鎌倉ともに代々の後様子ありて、都の公方より鎌倉の公方を誅罰し給ふ事、永享十二年庚申の歳なり、
現代語訳
しかも右大将より以後、公方家代々の式法を取り立て、政ごとをよく行われたことは、中興として尊氏公から始まる。いかにも事を全くして仕置きをされたので、両公方と定められた。この儀はもっともである。すでに都の公方に義詮公、その下に武衛・細川・畠山、これが三管領である。一色・山名・京極・赤松、これがまた四職である。さて鎌倉の公方に持氏公を据え参らせられ、その下に両上杉。もとは藤原内大臣冬嗣の子孫であって、御兄弟である。兄は鎌倉の山内に屋形があるので山内と申し、弟は扇谷に屋敷があるゆえに扇谷と言う。しかるに京と鎌倉ともに代々の後、事情があって、都の公方から鎌倉の公方を誅罰されたことが、永享十二年庚申の年である。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』尚賢下若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず忠信の士は喜び、忠ならず信ならざる士は懼れんと為す。今、唯だ尚賢を以て其の國家百姓に政を為す毋くんば、國の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。夫れ以て天下に政を為さば、天下の善を為す者をして勸ましめ、暴を為す者をして沮ましむ。然らば昔、吾が堯舜禹湯文武の道を貴ぶ所以の者は、何の故を以てなるか。其の唯だ衆に臨み政を發して民を治むるに毋くんば、天下の善を為す者をして得て勸む可からしめ、暴を為す者をして得て沮む可からしむるを以てなり。然らば則ち此の尚賢なる者は、堯舜禹湯文武の道と同じきなり。
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『墨子』尚同中子墨子曰く、方今の時の正長は、則ち本より古者と異なれり。之を譬うるに量るに五刑を以てするが若く然り。昔者、聖王は制して五刑を為り、以て天下を治む。有苗の五刑を制するに逮び至りては、以て天下を亂る。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なるなり。是を以て先王の書、呂刑の道いて曰く、「苗民、練を用いず、折くに則ち刑し、唯だ五殺の刑を作り、法と曰う」と。則ち此れ善く刑を用うる者は以て民を治め、善く刑を用いざる者は以て五殺と為すを言う。則ち此れ豈に刑の不善ならんや。刑を用うること則ち不善なり、故に遂に以て五殺と為す。是を以て先王の書、術令の道いて曰く、「惟れ口は好を出だし戎を興す」と。則ち此れ善く口を用うる者は好を出だし、善く口を用いざる者は以て讒賊冦戎と為すを言う。則ち此れ豈に口の不善ならんや。口を用うること則ち不善なり、故に遂に以て䜛賊冦戎と為す。
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老子 第18章大道廃れて、仁義有り。智慧出でて、大偽有り。六親和せずして、孝慈有り。国家昏乱して、忠臣有り。
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孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
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孫子・始計篇法とは、曲制・官道・主用なり。
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『墨子』公孟公孟子、子墨子に謂いて曰く、「知に人より賢れる有らば、則ち知と謂う可きか」と。子墨子曰く、「愚の知に以て人より賢れる有るも、愚、豈に知と謂う可けんや」と。公孟子曰く、「三年の喪は、吾が父母を慕うを學ぶなり」と。子墨子曰く、「夫れ嬰兒子の知は、獨り父母を慕うのみ。父母、得可からざれば、然れども號びて止まず。此れ其の故は何ぞや。即ち愚の至りなり。然らば則ち儒者の知、豈に以て嬰兒子より賢れること有らんや」と。子墨子曰く、「儒者に問う、『何の故に樂を為すや』と」。