甲陽軍鑑 / 品第十一
惡き者仕合よければ、是れは慾を起してのことなり、大小にょらず人間と成て、慾のなき者一人も有るまじ、但し邪慾の義は勿体なし、邪慾を家中の諸侍にもたするは下々のしわざにあらず、其家にて主君の行政ことの惡き故ならん、定まりてばか成る大將は、慢氣有り、我めの違ひて惡き人を取立給ふことをばしらず、主の目利し給ふ人は皆能者と思し召し、我扶助の者を、悉く當時崇敬ある人のかたぎになさんと思召すこと、是れあしき義なり、佛經ニ曰、
新字:悪き者仕合よければ、是れは慾を起してのことなり、大小にょらず人間と成て、慾のなき者一人も有るまじ、但し邪慾の義は勿体なし、邪慾を家中の諸侍にもたするは下々のしわざにあらず、其家にて主君の行政ことの悪き故ならん、定まりてばか成る大将は、慢気有り、我めの違ひて悪き人を取立給ふことをばしらず、主の目利し給ふ人は皆能者と思し召し、我扶助の者を、悉く当時崇敬ある人のかたぎになさんと思召すこと、是れあしき義なり、仏経ニ曰、
書き下し
悪き者仕合よければ、是れは慾を起してのことなり、大小にょらず人間と成て、慾のなき者一人も有るまじ、但し邪慾の義は勿体なし、邪慾を家中の諸侍にもたするは下々のしわざにあらず、其家にて主君の行政ことの悪き故ならん、定まりてばか成る大将は、慢気有り、我めの違ひて悪き人を取立給ふことをばしらず、主の目利し給ふ人は皆能者と思し召し、我扶助の者を、悉く当時崇敬ある人のかたぎになさんと思召すこと、是れあしき義なり、仏経ニ曰、
現代語訳
その主君の家風で万事が逆であるゆえに、悪い者が仕合わせよくなる。これは慾を起こしてのことである。大小によらず人間と生まれて、慾のない者は一人もいるまい。ただし邪な慾のことはもったいない。邪慾を家中の諸侍に持たせるのは、下々の仕業ではない。その家で主君の政ごとが悪いゆえであろう。決まって馬鹿な大将は慢心があり、自分の目が違って悪い人を取り立てておられることを知らず、主君が目利きされた人はみな良い者だと思し召し、自分の扶助する者をことごとく、当代に崇敬している人の気質にならせようと思し召す。これは悪いことである。
解説
この章句が説くこと
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孟子・離婁章句上孟子曰く、「離婁の明、公輸子の巧も、規矩を以てせざれば、方員を成すこと能わず。師曠の聰も、六律を以てせざれば、五音を正すこと能わず。堯舜の道も、仁政を以てせざれば、天下を平治すること能わず。今、仁心仁聞有りて、而も民其の澤を被らず、後世に法る可からざる者は、先王の道を行わざればなり。故に曰く、『徒善は以て政を為すに足らず、徒法は以て自ら行わるること能わず。』詩に云う、『愆らず忘れず、舊章に率い由る。』先王の法に遵いて過つ者は、未だ之れ有らざるなり。聖人既に目の力を竭くし、之に繼に規矩準繩を以てす。以て方員平直を為すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に耳力を竭くし、之に繼ぐに六律を以てす。五音を正すこと、用うるに勝う可からざるなり。既に心思を竭くし、之に繼ぐに人に忍びざるの政をを以てす。而うして仁天下を覆う。故に曰く、『高きを為すには、必ず丘陵に因り、下きを為すには、必ず川澤に因る。』政を為すに、先王の道に因らずんば、智と謂う可けんや。是を以て惟だ仁者のみ宜しく高位に在るべし。不仁にして高位に在るは、是れ其の惡を衆に播するなり。上に道揆無く、下に法守無く、朝は道を信ぜず、工は度を信ぜず、君子は義を犯し、小人は刑を犯して、國の存する所の者は幸いなり。故に曰く、『城郭完からず、兵甲多からざるは、國の災いに非ざるなり。田野辟けず、貨財聚まらざるは、國の害に非ざるなり。』上、禮無く、下、學無ければ、賊民興り、喪ぶること日無けん。詩に曰く、『天の方に蹶(くつがえす)えさんとする、然く泄泄すること無かれ。』泄泄とは、猶ほ沓沓のごときなり。君に事えて義無く、進退禮無く、言えば則ち先王の道を非る者は、猶ほ沓沓のごときなり。故に曰く、『難きを君に責む、之を恭と謂う。善を陳べ邪を閉づる、之を敬と謂う。吾が君能わずとす、之を賊と謂う。』」
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