甲陽軍鑑 / 品第三十九
其心得候へと各御一家衆·侍大將衆へ被仰渡舍弟道遙軒今夜甲府へ使に行と申し、心安き小者四人つれ出るふりにて物共をば土屋右衛門尉所に預け、此曉き籠輿に逍遙軒をのせ信玄公御煩に付て甲府へ御歸陣也と申候はこ、我等と逍遙軒と見わくる者有まじく候、累年見るに信玄が面を各をはじめ、しかとみる者なく候と相みへ候へば、造遙軒を見て信玄は存命なりと申べきは必定なり、かまへて四郞合戰數寄仕るべからず、〓信長·家康果報の過るを相待事肝要なり、
新字:其心得候へと各御一家衆·侍大将衆へ被仰渡舎弟道遥軒今夜甲府へ使に行と申し、心安き小者四人つれ出るふりにて物共をば土屋右衛門尉所に預け、此暁き籠輿に逍遥軒をのせ信玄公御煩に付て甲府へ御帰陣也と申候はこ、我等と逍遥軒と見わくる者有まじく候、累年見るに信玄が面を各をはじめ、しかとみる者なく候と相みへ候へば、造遥軒を見て信玄は存命なりと申べきは必定なり、かまへて四郎合戦数寄仕るべからず、〓信長·家康果報の過るを相待事肝要なり、
書き下し
其心得候へと各御一家衆·侍大将衆へ被仰渡舎弟道遥軒今夜甲府へ使に行と申し、心安き小者四人つれ出るふりにて物共をば土屋右衛門尉所に預け、此暁き籠輿に逍遥軒をのせ信玄公御煩に付て甲府へ御帰陣也と申候はこ、我等と逍遥軒と見わくる者有まじく候、累年見るに信玄が面を各をはじめ、しかとみる者なく候と相みへ候へば、造遥軒を見て信玄は存命なりと申べきは必定なり、かまへて四郎合戦数寄仕るべからず、〓信長·家康果報の過るを相待事肝要なり、
現代語訳
その心得でいよ、とご一家衆・侍大将衆へ仰せ渡された。弟の逍遙軒が、今夜甲府へ使いに行くと言って、心安い小者を四人連れて出るふりをして、荷物は土屋右衛門尉の所に預け、この暁に籠輿へ逍遙軒を乗せ、信玄公はご病気につき甲府へご帰陣であると申せば、自分と逍遙軒とを見分ける者はいないだろう。長年見ていながら、信玄の顔をそれぞれをはじめ、しかと見た者はいないと見えるので、逍遙軒を見て信玄は存命であると申すのは必定である。決して四郎は合戦を好んではならない。信長・家康の果報が過ぎるのを待つことが肝要である。
解説
この章句が説くこと
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孫子・始計篇将吾が計を聴きてこれを用うれば必ず勝つ。これを留む。聴かずしてこれを用うれば必ず敗る。これを去る。
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孫子・始計篇故に之を経るに五事を以てし、之を校ぶるに七計を以てして、其の情を索む。
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『商君書』算地故に聖人の國を為むるや、入りては民に令して以て農に屬せしめ、出でては民に令して以て戰を計らしむ。夫れ農は民の苦しむ所にして、戰は民の危うしとする所なり。その苦しむ所を犯し、その危うしとする所を行う者は、計なり。故に民は生くれば則ち利を計り、死すれば則ち名を慮る。名利の出づる所は、審らかにせざるべからざるなり。利、地に出づれば、則ち民は力を盡くし、名、戰に出づれば、則ち民は死を致す。入りて民をして力を盡くさしむれば、則ち草は荒れず、出でて民をして死を致さしむれば、則ち敵に勝つ。敵に勝ちて草荒れざれば、富強の功は、坐して致すべきなり。
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『甲陽軍鑑』品第三十九又信玄分別の事は惣別五年己来より此煩ひ大事と思ひ、判をすへ置く紙八百枚にあまり可有之と被仰、御長櫃より取出させ、各へ渡し給ひて仰らるこは、諸方より使札くれ候はば、返札を此紙にかき、信玄は煩ひなれ共、未だ存生ときゝたらは、他国より当家の国々へ手をかくる者有ましく候、某の国取べきとは夢にも不存、信玄に国とられぬ用心ばかりと何れも仕候へば、三年の間我死たるを隠して国をしづめ候へ、
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『甲陽軍鑑』品第三十九次に信長とは切所をかまへ対陣をながくはり候はゝ、あなたは大軍、遠き陣ならば五畿内近江·伊勢、人数草臥、無理成働き仕る時分一しほのけ候はこ立なをす事有まじく候、家康は信玄死したると聞候はゝ駿河迄もはたらき申べく候間、駿河の国中へ入たて討取申べく候、小田原をば無理にかこつておしつぶし候とも手間は取まじく候、氏政定て信玄死したると聞候はこ人質をも、すてふりを可仕候間、
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『甲陽軍鑑』品第三十九今信玄取て渡したる国々あぶなげもなきように仕置をつこしみ候所に、各より無理成働き仕候はゞ、持の内へ入たて有無の一戦可仕候、其時は我つかひ入たる大身·小身·下々迄一精出し候はゞ、信長·家康·氏政三人ひとつになりても此方勝利はうたがひ有まじく候、輝虎みなとひとつになり四郎にこめをみする事有間数候、信玄死してより弓矢は謙信也、天下をもちたる信長果報のすへ輝虎が武勇両人のすへをまちうけ申べく候、信玄よろづ工夫·思案·遠慮十双倍気遣い致し候へと被仰、