甲陽軍鑑 / 品第三十九
勝賴は如前大文字の小旗にて勝賴差物法華經の幌をば典厩にゆづり候へ、諏訪法性の甲は勝賴着候て、其後是を信勝に讓り候へ、典厩·穴山兩人賴候間、四郞を屋形のごとく執してくれられ候へ、勝賴がせがれ信勝當年七歲に成を信玄ごとくに馳走候て、十六歲の時家督になをし候へ又それがしとぶらひは無用にして、諏訪の海へ具足をきせて今より三年目の亥の四月十二日に沈め候へ、
新字:勝頼は如前大文字の小旗にて勝頼差物法華経の幌をば典厩にゆづり候へ、諏訪法性の甲は勝頼着候て、其後是を信勝に譲り候へ、典厩·穴山両人頼候間、四郎を屋形のごとく執してくれられ候へ、勝頼がせがれ信勝当年七歳に成を信玄ごとくに馳走候て、十六歳の時家督になをし候へ又それがしとぶらひは無用にして、諏訪の海へ具足をきせて今より三年目の亥の四月十二日に沈め候へ、
書き下し
勝頼は如前大文字の小旗にて勝頼差物法華経の幌をば典厩にゆづり候へ、諏訪法性の甲は勝頼着候て、其後是を信勝に譲り候へ、典厩·穴山両人頼候間、四郎を屋形のごとく執してくれられ候へ、勝頼がせがれ信勝当年七歳に成を信玄ごとくに馳走候て、十六歳の時家督になをし候へ又それがしとぶらひは無用にして、諏訪の海へ具足をきせて今より三年目の亥の四月十二日に沈め候へ、
現代語訳
勝頼は前のとおり大文字の小旗とし、勝頼の差物である法華経の幌は典厩に譲れ。諏訪法性の甲は勝頼が着て、その後これを信勝に譲れ。典厩と穴山の両人を頼むので、四郎を屋形のように立ててくれ。勝頼の倅である信勝は当年七歳になるが、信玄と同じように大切に扱って、十六歳の時に家督に直せ。また自分の葬いは無用にして、諏訪の海へ具足を着せて、今から三年目の亥の四月十二日に沈めよ。
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
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『童子問』卷中世に応ずるの道を問ふ。曰く、譲に如くは莫し。譲は実徳なり。凡そ上を犯し勝つことを好み、人と争奪するは、皆譲を忘るるより生ず。故に一たび譲立ちて、衆徳聚まる。徒に世と乖戻せざるのみに非ず、事に応じ物に接するの間に於て、最も要道為り。人にして礼譲の心無ければ、則ち他の美有りと雖も、皆観るに足らず。故に天下譲より善きは莫く、譲を知らざるより不善なるは莫し。
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『春秋左氏伝』襄公十三年 譲は礼の主なり君子曰く、「讓は禮の主なり。范宣子讓りて、其の下皆讓る。欒黶汰(おご)ると為すも、敢へて違はず。晉國以て平らかにして、數世之に賴る。善に刑(のつと)ればなり。一人善に刑れば、百姓休和す。務めざるべけんや。書に曰く、『一人慶有れば、兆民之に賴る。其の寧きこと惟れ永し』と。其れ是の謂ひか。周の興るや、其の詩に曰く、『文王に儀刑すれば、萬邦孚を作す』と。善に刑るを言ふなり。其の衰ふるに及びてや、其の詩に曰く、『大夫均しからず、我事に從ひて獨り賢(らう)す』と。讓らざるを言ふなり。世の治まるや、君子は能を尚びて其の下に讓り、小人は農力して以て其の上に事ふ。是を以て上下禮有りて、讒慝黜遠せらる。爭はざるに由るなり。之を懿德と謂ふ。其の亂るるに及びてや、君子は其の功を稱して以て小人に加へ、小人は其の技を伐(ほこ)りて以て君子を馮(しの)ぐ。是を以て上下禮無く、亂虐並び生ず。善を爭ふに由るなり。之を昏德と謂ふ。國家の敝るるは、恆に必ず之に由る」と。
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司馬法・天子之義上苟も善を伐(ほこ)らざれば、則ち驕らず。下苟も善を伐らざれば、必ず等を亡(な)くす。上下善を伐らざること此くの若きは、譲の至りなり。
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司馬法・天子之義上苟も不善を以て己に在りとせば、必ず其の過ちを悔ゆ。下苟も不善を以て己に在りとせば、必ず其の罪に遠ざかる。上下悪を分かつこと此くの若きは、譲の至りなり。
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司馬法・嚴位自ら子(よ)するに循わざるを以てし、賢を争うに以て為し、人其の心を説(よろこ)ばしめ、其の力を效(いた)す。
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『弁名』德至徳なる者は、徳の至れる者を謂ふなり。孔子泰伯を称するに其の譲を以てし、周を称するに其の恭を以てす。書に允恭克譲を以て堯を称す。其の至徳為ること知るべきのみ。然れども聖人の恭譲に非ざるよりは則ち未だ以て至徳と為すに足らず。泰伯の譲は、天下を以てす。周の恭は、天下を以てす。是れ其の至と為る所以なり。孝を以て至徳と為す者は、其の仁を為すの本為るを以てなり。周官の至徳なる者は、聖人の徳の万世の標準為るを謂ふなり。敏徳なる者は、徳の性を以て殊なる者を謂ふなり。