呂氏春秋 / 不廣⑤
晉文公欲合諸侯。咎犯曰:“不可。天下未知君之義也。”公曰:“何若?”咎犯曰:“天子避叔帶之難,出居于鄭。君奚不納之,以定大義?且以樹譽。”文公曰:“吾其能乎?”咎犯曰:“事若能成,繼文之業,定武之功,闢土安疆,於此乎在矣。事若不成,補周室之闕,勤天子之難,成教垂名,於此乎在矣。君其勿疑。”文公聽之,遂與草中之戎、驪土之翟,定天子于成周。於是天子賜之南陽之地,遂霸諸侯。舉事義且利,以立大功。文公可謂智矣。此咎犯之謀也。出亡十七年,反國四年而霸,其聽皆如咎犯者邪!
新字:晉文公欲合諸侯。咎犯曰:“不可。天下未知君之義也。”公曰:“何若?”咎犯曰:“天子避叔帯之難,出居于鄭。君奚不納之,以定大義?且以樹誉。”文公曰:“吾其能乎?”咎犯曰:“事若能成,継文之業,定武之功,闢土安疆,於此乎在矣。事若不成,補周室之闕,勤天子之難,成教垂名,於此乎在矣。君其勿疑。”文公聴之,遂与草中之戎、驪土之翟,定天子于成周。於是天子賜之南陽之地,遂覇諸侯。舉事義且利,以立大功。文公可謂智矣。此咎犯之謀也。出亡十七年,反国四年而覇,其聴皆如咎犯者邪!
書き下し
晉の文公、諸侯を合わせんと欲す。咎犯曰く、「不可なり。天下未だ君の義を知らざるなり。」公曰く、「何若せん。」咎犯曰く、「天子、叔帶の難を避けて、出でて鄭に居る。君奚ぞ之を納れて、以て大義を定め、且つ以て譽を樹てざる。」文公曰く、「吾其れ能くせんか。」咎犯曰く、「事若し能く成らば、文の業を繼ぎ、武の功を定め、土を闢き疆を安んずること、此に於いてか在り。事若し成らずとも、周室の闕を補い、天子の難に勤め、教えを成し名を垂るること、此に於いてか在り。君其れ疑うこと勿れ。」文公之を聽き、遂に草中の戎・驪土の翟と與に、天子を成周に定む。是に於て天子、之に南陽の地を賜い、遂に諸侯に霸たり。事を舉ぐること義にして且つ利、以て大功を立てたり。文公をば智なりと謂う可し。此れ咎犯の謀なり。出亡すること十七年、國に反り四年にして霸たり、其の聽くこと皆咎犯の如き者か。
現代語訳
晋の文公が諸侯を糾合しようとした。咎犯は「なりません。天下はまだ君の大義を知りません」と言った。文公が「どうすればよい」と問うと、咎犯は「天子(周の襄王)が叔帯の乱を避けて都を出て鄭にいます。君はなぜ天子を迎え入れて大義を打ち立て、あわせて名誉を築かないのですか」と答えた。文公が「私にそれができるだろうか」と言うと、咎犯は「事が成れば、文王の業を継ぎ武王の功を固め、領土を開き国境を安んじることが、ここにかかっています。たとえ成らなくても、周室の欠けを補い天子の難に尽くし、教化を成し名を後世に残すことが、ここにあります。ためらってはなりません」と言った。文公はこれに従い、草中の戎や驪土の翟とともに、天子を成周に安んじた。すると天子は文公に南陽の地を賜い、こうして文公は諸侯の覇者となった。事を起こすのに大義があり、しかも実利もあって、大功を立てた。文公は智といえる。これは咎犯の謀である。文公は十七年亡命し、帰国して四年で覇者となったが、その助言の聞き入れ方はみな咎犯のようであったのだろう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・義賞②昔晉の文公將に楚人と城濮に戰わんとして、咎犯を召して問いて曰く、「楚は衆く、我は寡し。奈何にして可ならん。」咎犯對えて曰く、「臣聞く、繁禮の君は、文に足かず、繁戰の君は、詐に足かず、と。君も亦た之を詐らんのみ。」文公、咎犯の言を以て雍季に告ぐ。雍季曰く、「澤を竭くして漁せば、豈に獲得せざらんや。而れども明年魚無からん。藪を焚きて田せば、豈に獲得せざらんや。而れども明年獸無からん。詐偽の道は、今偷く可なりと雖も、後將に復びすること無からん。長術に非ざるなり。」文公、咎犯の言を用いて、楚人を城濮に敗る。反りて賞を為す。雍季上に在り。左右諫めて曰く、「城濮の功は、咎犯の謀なり。君、其の言を用い、而して賞すること其の身を後にす。或いは不可ならんか。」文公曰く、「雍季の言は、百世の利なり。咎犯の言は、一時の務なり。焉くんぞ一時の務を以て百世の利に先んずる者有らんや。」孔子之を聞きて曰く、「難に臨んで詐を用う、以て敵を卻くるに足る。反りて賢を尊ぶ、以て徳に報ゆるに足る。文公終始せずと雖も、以て霸たるに足る。」賞重ければ則ち民之に移る。民之に移れば則ち成る。詐に成れば、其の成ること毀れ、其の勝つこと敗る。天下に勝つ者衆し、而れども霸者は乃かに五、文公其の一に處る、勝つことの成る所を知ればなり。勝てども勝つことの成る所を知らざれば、勝つこと無きと同じなり。秦は戎に勝ちて殽に敗れ、楚は諸夏に勝ちて柏舉に敗る。武王は之を得たり。故に一たび勝ちて天下に王たり。衆詐國に盈つれば、以て安しと為す可からず。患いは獨り外のみに非ざるなり。
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説苑・敬慎大功の効は、賢を用い道を積むに在り、浸く章らかに浸く明らかなり。衰滅の過ちは、意を得て怠るに在り、浸く蹇に浸く亡ぶ。晋の文公是れ其の効なり。晋の文公亡命に出で、道を修めて休まず、国を饗くるに至るを得たり。国を饗くるの時、上に明天子無く、下に賢方伯無く、強楚会を主どり、諸侯背畔し、天子道を失い、出でて鄭に居る。文公是に於て中国の微なるを憫れみ、咎犯・先軫・陽処父に任じ、百姓を畜愛し、戎士を厲養し、四年にして政治内に定まり、則ち兵を挙げて衛を伐ち、曹伯を執え、還りて強楚を敗り、威天下に震い、明王法もて諸侯を率いて天子に朝せしめ、敢えて聴かざる莫く、天下曠然として平定し、周室尊顕す。故に曰わく大功の効は、賢を用い道を積むに在り、浸く章らかに浸く明らかなりと。文公是に於て覇功立ち、期至りて意を得るに湯武の心あり、作して其の衆を忘れ、一年三たび師を用いて、且つ休息せず。遂に進みて許を囲み、兵亟しく弊れて服する能わず、諸侯を罷めて帰り、此より政事に怠り、狄泉の盟を為すに、親ら至らず、信衰え誼欠け、羅の補われざるが如く、威武詘折して信ぜられず、則ち諸侯朝せず、鄭遂に叛き、夷狄内侵し、衛商に遷りて止まる。故に曰わく、衰滅の過ちは、意を得て怠るに在り、浸く蹇に浸く亡ぶと。
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呂氏春秋・簡選⑤晉の文公は五兩の士五乘を造り、銳卒千人、先だちて以て敵に接せしむ。諸侯之を能く難むる莫し。鄭の埤を反し、衛の畝を東にし、天子を衡雍に尊ぶ。
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呂氏春秋・當賞②晉の文公、國に反り、亡に從える者を賞す、而るに陶狐與らず。左右曰く、「君、國家に反りて、爵祿三たび出だす。而るに陶狐與らず。敢て其の說を問う。」文公曰く、「我を輔くるに義を以てし、我を導くに禮を以てする者は、吾以て上賞と為す。我を教うるに善を以てし、我に彊うるに賢を以てする者は、吾以て次賞と為す。吾が欲する所に拂り、數々吾が過ちを舉ぐる者は、吾以て末賞と為す。三者は功有るの臣を賞する所以なり。若し唐國の勞徒を賞せば、則ち陶狐將に首為らんとす。」周の內史興、之を聞きて曰く、「晉公は其れ霸たらんか。昔者、聖王は德を先にして力を後にす。晉公は其れ之に當たれり。」
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呂氏春秋・不苟⑤晉の文公將に鄴を伐たんとす。趙衰、鄴に勝つ所以の術を言う。文公之を用う。果して勝つ。還り、將に賞を行わんとす。衰曰く、「君將に其の本を賞せんとするか、其の末を賞せんとするか。其の末を賞せば、則ち騎乘の存し、其の本を賞せば、則ち臣、之を郤子虎に聞けり。」文公、郤子虎を召して曰く、「衰、鄴に勝つ所以を言う。鄴既に勝つ。將に之を賞せんとするや、曰く、『蓋し之を子虎に聞けり。請う子虎を賞せよ。』」子虎曰く、「之を言うは易く、之を行うは難し。臣は之を言う者なり。」公曰く、「子、辭すること無かれ。」郤子虎、敢て固辭せず。乃ち受く。凡そ賞を行うは其の博きを欲す。博ければ則ち助多し。今、虎は親しく言う者に非ず、而も賞猶ほ之に及べり。此れ疏遠の者の能を盡くし智を竭くす所以の者なり。晉の文公の亡すること久しく、歸りて大亂の餘に因り、猶ほ能く以て霸たりしは、其れ此に由るか。
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呂氏春秋・爲欲④凡そ國を治むるは、其の民をして爭いて義行わしめ、亂國は其の民をして爭いて不義を為さしむるなり。彊國は其の民をして爭いて用いらるるを樂しましめ、弱國は其の民をして爭いて用いられざるを競わしむ。夫れ爭いて義を行いて用いらるるを樂しむと、爭いて不義を為して用いられざるを競うとは、此れ其の禍福為ることは、天覆うこと能わず、地載すること能わず。晉の文公、原を伐ち、士と七日を期す。七日して原下らず。命じて之を去らしめんとす。謀士言いて曰く、「原將に下らんとす。」師吏、之を待たんことを請う。公曰く、「信は、國の寶なり。原を得て寶を失うは、吾為さざるなり。」遂に之を去る。明年復た之を伐ち、士と必ず原を得て然る後反らんことを期す。原人之を聞き乃ち下る。衛人之を聞き、文公の信を以て至れりと為し、乃ち文公に歸す。故に、原を攻めて衛を得たりと曰うは、此の謂なり。文公は原を得ることを欲せざるに非ざるなり。不信を以て原を得るは、得ること勿きに若かざればなり。必ず誠信にして以て之を得れば、之に歸する者は獨り衛のみに非ざるなり。文公は欲を求むることを知れりと謂う可し。