孔子家語 / 正論解
晉邢侯與雍子爭田,叔魚攝理,罪在雍子。雍子納其女於叔魚,叔魚弊獄邢侯。邢侯怒殺叔魚與雍子於朝。韓宣子問罪於叔向。叔向曰:「三奸同坐,施生戮死可也。雍子自知其罪,而賂以置直鮒也,鬻獄邢侯專殺其罪一也。己惡而掠美為昏,貪以敗官為默,殺人不忌為賊。夏書曰:『昏、默、賊,殺。咎陶之刑也。』請從之。」乃施邢侯,而屍雍子、叔魚於市。孔子曰:「叔向,古之遺直也。治國制刑,不隱於親。三數叔魚之罪,不為末。或曰義,可謂直矣。平丘之會,數其賄也。以寬衛國,晉不為暴;歸魯季孫,稱其詐也。以寬魯國,晉不為虐;邢侯之獄,言其貪也,以正刑書,晉不為頗。三言而除三惡,加三利,殺親益榮,由義也夫。」
新字:晉邢侯与雍子争田,叔魚摂理,罪在雍子。雍子納其女於叔魚,叔魚弊獄邢侯。邢侯怒殺叔魚与雍子於朝。韓宣子問罪於叔向。叔向曰:「三奸同坐,施生戮死可也。雍子自知其罪,而賂以置直鮒也,鬻獄邢侯専殺其罪一也。己悪而掠美為昏,貪以敗官為黙,殺人不忌為賊。夏書曰:『昏、黙、賊,殺。咎陶之刑也。』請従之。」乃施邢侯,而屍雍子、叔魚於市。孔子曰:「叔向,古之遺直也。治国制刑,不隠於親。三数叔魚之罪,不為末。或曰義,可謂直矣。平丘之会,数其賄也。以寛衛国,晉不為暴;帰魯季孫,称其詐也。以寛魯国,晉不為虐;邢侯之獄,言其貪也,以正刑書,晉不為頗。三言而除三悪,加三利,殺親益栄,由義也夫。」
書き下し
晉の邢侯と雍子と田を爭う。叔魚攝理す、罪雍子に在り。雍子其の女を叔魚に納れ、叔魚獄を邢侯に弊(き)す。邢侯怒りて叔魚と雍子とを朝に殺す。韓宣子罪を叔向に問う。叔向曰く、「三奸同坐す、生を施し死を戮するも可なり。雍子自ら其の罪を知りて、賂いて以て鮒(叔魚)を直きに置かしむるなり。獄を鬻(ひさ)ぎ邢侯專殺す、其の罪一なり。己惡しくして美を掠むるを昏と為し、貪りて以て官を敗るを默と為し、人を殺して忌まざるを賊と為す。夏書に曰く、『昏・默・賊は殺す、咎陶の刑なり。』と。請う之に從わん。」乃ち邢侯を施(ころ)し、雍子・叔魚を市に屍す。孔子曰く、「叔向は、古の遺直なり。國を治め刑を制するに、親を隱さず。三たび叔魚の罪を數うるも、末を為さず。或いは義と曰う、直と謂うべし。平丘の會、其の賄を數う。以て衛國を寬にす、晉暴を為さず。魯の季孫を歸すに、其の詐を稱う。以て魯國を寬にす、晉虐を為さず。邢侯の獄、其の貪を言う、以て刑書を正す、晉頗を為さず。三言にして三惡を除き、三利を加う、親を殺して榮を益す、義に由るなり。」
現代語訳
晋の邢侯と雍子とが田地をめぐって争った。叔魚がこの訴訟を裁くことになったが、罪は本来雍子の側にあった。雍子は自分の娘を叔魚に差し出し、叔魚はこの取引によって邢侯に不利な判決を下した。邢侯は怒って、朝廷で叔魚と雍子の両者を殺してしまった。韓宣子はこの罪をどう裁くべきか叔向に尋ねた。叔向は言った。「三人ともに悪事に関わっており、生きている者は処罰し死んだ者は屍を晒すべきです。雍子は自らの罪を知りながら賄賂を贈って叔魚(鮒)に正しい側だと判定させようとしました。判決を金で売った叔魚と、独断で人を殺した邢侯、その罪は同じく一つです。自分が悪いのに美名を掠め取ることを『昏』といい、貪欲によって官職の職務を汚すことを『默』といい、人を殺して憚らないことを『賊』といいます。夏書に『昏・默・賊は死刑に処す、これは咎陶の刑法である』とあります。この規定に従うべきです。」そこで邢侯を死刑にし、雍子と叔魚の屍を市に晒した。孔子は言った。「叔向は、昔ながらの正直さを受け継いだ人物である。国を治め刑罰を定めるにあたって、身内をかばうことをしなかった。叔魚の罪を三度にわたって数え上げたが、それは些末なことではなかった。ある人はこれを義と呼ぶが、まさに正直と言うべきである。平丘の会では衛の賄賂を数え上げてこれを許し、晋は横暴を働かないと評された。魯の季孫を帰す際には彼の詐りを指摘して魯を寛大に扱い、晋は暴虐を働かないと評された。邢侯の獄では叔魚の貪欲を明らかにして刑法を正し、晋は偏りを働かないと評された。三つの言葉で三つの悪を除き、三つの利益をもたらした。身内(叔魚は叔向の異母兄弟)を処罰してなお名誉を高めたのは、道義によったからである。」
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・正論解叔孫穆子、難を避けて齊に奔る。庚宗の邑に宿り、庚宗の寡婦と通じて牛を生む。穆子魯に返り、牛を以て內豎と為し、家を相けしむ。牛叔孫の二人を讒し、之を殺す。叔孫病有るも、牛其の饋を通ぜず、食らわずして死す。牛遂に叔孫の庶子昭を輔けて、之を立つ。昭子既に朝に立つや、其の家眾曰く、「豎牛叔孫氏を禍いし、大從を亂れしむ。適を殺し庶を立て、又其の邑を被り、以て罪を舍(のが)れんことを求む。罪焉より大なるは莫し、必ず速やかに之を殺せ。」遂に豎牛を殺す。孔子曰く、「叔孫昭子の勞せざるは、能くすべからざるなり。周任言えること有りて曰く、『政を為す者は、私勞を賞せず、私怨を罰せず。』と。詩に云う、『覺(かく)たる德行有れば、四國之に順う。』と。昭子焉れ有り。」
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荀子・宥坐篇孔子、魯の司寇(しこう)と為る。父子にして訟(うった)うる者有り。孔子之を拘(とら)え、三月別(わか)たず。其の父止(や)めんことを請う。孔子之を舎(ゆる)す。季孫之を聞き、説(よろこ)ばずして曰く、「是の老(ろう)や、予を欺く。予に語りて曰く、国家を為(おさ)むるには必ず孝を以てすと。今、一人を殺して不孝を戮(りく)せんとし、又之を舎す」と。冉子以て告ぐ。孔子慨然として歎じて曰く、「嗚呼、上之を失いて、下之を殺す。其れ可ならんや。其の民を教えずして、其の獄を聴くは、辜(つみ)なきを殺すなり。三軍大いに敗るるも、斬るべからず。獄犴(ごくかん)治まらざるも、刑すべからず。罪、民に在らざるが故なり。令を嫚(おこた)りて誅を謹(きび)しくするは、賊なり。今、生ずるや時有り、斂(あつ)むるや時無きは、暴なり。教えずして成功を責むるは、虐なり。此の三者を已(や)めて、然る後に刑即(つ)くべきなり。書に曰く、『義刑義殺、庸(もっ)て即(つ)くこと勿かれ、予維(こ)れ曰く未だ順事有らずと』と。教えを先にするを言うなり。故に先王は既に之に陳(の)ぶるに道を以てし、上、先ず之に服す。若し可ならざれば、賢を尚(たっと)びて以て之を綦(きわ)む。若し可ならざれば、不能を廃して以て之を単(つ)くす。綦(きわ)むること三年にして百姓、風に従う。邪民従わざれば、然る後に之を俟(ま)つに刑を以てすれば、則ち民、罪を知らん。詩に曰く、『尹氏大師、維(こ)れ周の氐(もと)、国の均(きん)を秉(と)り、四方是(こ)れ維(つな)ぐ。天子是れ庳(たす)け、民をして迷わざらしむ』と。是を以て威、厲(はげ)しくして試みず、刑、錯(お)きて用いず。此れの謂いなり。今の世は則ち然らず。其の教えを乱し、其の刑を繁くす。其の民迷惑して墮(お)つれば、則ち従って之を制す。是を以て刑弥(いよいよ)繁くして、邪勝たず。三尺の岸すら虚車(きょしゃ)登ること能わず。百仞の山も、負を任ずる車、登る。何ぞ則ち、陵遅(りょうち)なるが故なり。数仞の牆(かき)すら民踰(こ)えず。百仞の山も豎子(じゅし)馮(よ)りて游ぶは、陵遅なるが故なり。今の世、陵遅すること已(すで)に久し。而して能く民をして踰ゆること勿からしめんや。詩に曰く、『周道は砥(と)の如く、其の直きこと矢の如し。君子の履(ふ)む所、小人の視る所。眷焉(けんえん)として之を顧み、潸焉(さんえん)として涕(なみだ)を出だす』と。豈に哀しからずや」と。
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孔子家語・始誅孔子魯の大司寇と為り、父子訟うる者有り。夫子同狴に之を執う。三月別たず、其の父止めんことを請う。夫子之を赦す。季孫之を聞き、悦ばずして曰く、「司寇余を欺けり。曩に余に告げて曰く、『国家必ず孝を以て先とす』と。余今一の不孝を戮して以て民に孝を教うるは、亦た可ならずや。而るに又之を赦すは、何ぞや。」冉有以て孔子に告ぐ。子喟然として嘆じて曰く、「嗚呼、上其の道を失いて、其の下を殺すは、理に非ざるなり。孝を教えずして其の獄を聴くは、是れ不辜を殺すなり。三軍大敗するも、斬るべからざるなり。獄犴治まらざるも、刑すべからざるなり。何となれば、上の教之を行わざるは、罪民に在らざるが故なり。夫れ令を慢りて誅を謹むは、賊なり。斂を征するに時無きは、暴なり。試みずして成るを責むるは、虐なり。政此の三者無くして、然る後刑即くべきなり。書に云う、『義刑、義殺庸うる勿かれ、以て汝の心に即けよ、惟だ未だ事を慎むこと有らずと曰え』と。必ず教えて而る後に刑すを言うなり。既に道徳を陳べて以て先ず之に服せしめ、而して猶お可ならざれば、賢を尚びて以て之を勧め、又可ならざれば、即ち之を廃し、又可ならざれば、而る後に威を以て之を憚らしむ。是の若くすること三年にして、百姓正し。其れ邪民の化に従わざる者有れば、然る後に之を待つに刑を以てすれば、則ち民咸な罪を知る。詩に云う、『天子是れ毗け、民をして迷わざらしむ』と。是を以て威厳にして試みず、刑錯きて用いず。今の世は則ち然らず、其の教を乱して其の刑を繁くし、民をして迷惑して焉に陥らしめ、又従いて之を制す。故に刑彌いよ繁くして、盗勝えず。夫れ三尺の限、空車も登ること能わざる者は何ぞや、峻なるが故なり。百仞の山、重載も陟る者は何ぞや、陵遅なるが故なり。今世俗の陵遅久し、刑法有りと雖も、民踰ゆること勿からんや。」
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孔子家語・刑政仲弓曰わく:「古の訟を聽くや、尤罰は事に麗け、其の心を以てせずと。得て聞く可きか。」孔子曰わく:「凡そ五刑の訟を聽くには:必ず父子の情に原づき、君臣の義を立てて以て之を權り、輕重の序を意論し、淺深の量を慎測して以て之を別ち、其の聰明を悉くし、其の忠愛を正して以て之を盡くす。大司寇刑を正し辟を明らかにして以て獄を察す、獄は必ず三訊す。指有りて簡無ければ、則ち聽かず。附くるは輕きに從い、赦すは重きに從う。疑獄は則ち泛く眾と之を共にし、疑わしければ則ち之を赦す、皆小大の比を以て成すなり。是の故に人を爵するには必ず朝にす、眾と之を共にすればなり。人を刑するには必ず市にす、眾と之を棄つればなり。古は公家刑人を畜わず、大夫養わざるなり。士之に塗に遇うも、以て之と言わず。之を四方に屏け、唯だ其の之く所のままにす。政に與るに及ばず、之を生かさんと欲せざるなり。」
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『春秋左氏伝』襄公二十一年 外挙も讎を棄てず……人叔向に謂ひて曰く、「子罪に離(かか)る、其れ不知と為すか」と。叔向曰く、「其の死亡に與(くら)ぶれば若何。詩に曰く、『優なる哉游なる哉、聊か以って歲を卒へん』と。知なり」と。樂王鮒叔向に見えて曰く、「吾子の為に請はん」と。叔向應ぜず。出づるに拜せず。其の人皆叔向を咎む。叔向曰く、「必ずや祁大夫ならん」と。室老之を聞きて曰く、「樂王鮒君に言へば、行はれざる無し。吾子を赦さんことを求むるに、吾子許さず。祁大夫の能はざる所なるに、而も必ず之に由らんと曰ふ、何ぞや」と。叔向曰く、「樂王鮒は、君に從ふ者なり。何ぞ能く行はん。祁大夫は外に舉げて讎を棄てず、内に舉げて親を失はず。其れ獨り我を遺さんや」と。……祁奚老いたり。之を聞き、馹に乘りて宣子に見えて曰く、「……夫れ謀りて過ち鮮く、惠訓倦まざる者、叔向焉に有り。社稷の固めなり。猶ほ將に十世之を宥して、以って能ある者を勸むべし。今壹たび其の身を免れずんば、其れ社稷を棄つ、亦た惑ならずや。……」と。宣子說び、之と乘りて以って諸を公に言ひて之を免る。叔向に見えずして歸る。叔向も亦た免るるを告げずして朝す。
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説苑・政理魯に父子訟うる者有り。康子曰く、「之を殺せ。」孔子曰く、「未だ殺すべからざるなり。夫れ民、子父の訟うるの不善なるを知らざること久し。是れ則ち上の過ちなり。上に道有らば、是の人亡からん。」康子曰く、「夫れ民を治むるに孝を以て本と為す。今一人を殺して以て不孝を戮せば、亦た可ならずや。」孔子曰く、「不孝にして之を誅せば、是れ辜無きを虐殺するなり。三軍大敗すとも誅すべからず、獄訟治まらずとも刑すべからず。上、之が教を陳べて先ず之に服せば、則ち百姓風に從わん。躬ら行いて從わずして后に之を俟つに刑を以てせば、則ち民罪を知らん。夫れ一仞の牆、民踰ゆる能わず、百仞の山、童子升りて遊ぶは、陵遲なるが故なり。今是れ仁義の陵遲すること久し。能く民の踰えざるを謂わんや。詩に曰く、『民をして迷わざらしめよ』と。昔者、君子は其の百姓を導きて迷わざらしむ。是を以て威厲しくして至らず、刑錯きて用いず。」是に於て訟うる者之を聞き、乃ち訟うる無きを請う。