孔子家語 / 正論解
叔孫穆子,避難奔齊。宿於庚宗之邑,庚宗寡婦通焉而生牛。穆子返魯,以牛為內豎,相家。牛讒叔孫二人,殺之。叔孫有病,牛不通其饋,不食而死。牛遂輔叔孫庶子昭,而立之。昭子既立朝,其家眾曰:「豎牛禍叔孫氏,使亂大從。殺適立庶,又被其邑,以求舍罪。罪莫大焉,必速殺之。」遂殺豎牛。孔子曰:「叔孫昭子不勞,不可能也。周任有言曰:『為政者:不賞私勞,不罰私怨。』詩云:『有覺德行,四國順之。』昭子有焉。」
新字:叔孫穆子,避難奔斉。宿於庚宗之邑,庚宗寡婦通焉而生牛。穆子返魯,以牛為内豎,相家。牛讒叔孫二人,殺之。叔孫有病,牛不通其饋,不食而死。牛遂輔叔孫庶子昭,而立之。昭子既立朝,其家衆曰:「豎牛禍叔孫氏,使乱大従。殺適立庶,又被其邑,以求舎罪。罪莫大焉,必速殺之。」遂殺豎牛。孔子曰:「叔孫昭子不労,不可能也。周任有言曰:『為政者:不賞私労,不罰私怨。』詩云:『有覚徳行,四国順之。』昭子有焉。」
書き下し
叔孫穆子、難を避けて齊に奔る。庚宗の邑に宿り、庚宗の寡婦と通じて牛を生む。穆子魯に返り、牛を以て內豎と為し、家を相けしむ。牛叔孫の二人を讒し、之を殺す。叔孫病有るも、牛其の饋を通ぜず、食らわずして死す。牛遂に叔孫の庶子昭を輔けて、之を立つ。昭子既に朝に立つや、其の家眾曰く、「豎牛叔孫氏を禍いし、大從を亂れしむ。適を殺し庶を立て、又其の邑を被り、以て罪を舍(のが)れんことを求む。罪焉より大なるは莫し、必ず速やかに之を殺せ。」遂に豎牛を殺す。孔子曰く、「叔孫昭子の勞せざるは、能くすべからざるなり。周任言えること有りて曰く、『政を為す者は、私勞を賞せず、私怨を罰せず。』と。詩に云う、『覺(かく)たる德行有れば、四國之に順う。』と。昭子焉れ有り。」
現代語訳
叔孫穆子は難を避けて斉に亡命した。その途中、庚宗の邑に宿泊し、そこの寡婦と関係を持って牛という子をもうけた。穆子は魯に帰国すると、牛を家臣(内豎)として召し抱え、家政をつかさどらせた。牛はやがて叔孫の二人の子(嫡子たち)を讒言し、殺してしまった。叔孫が病に倒れると、牛は食事を取り次がず、叔孫は食べられないまま亡くなった。牛はそのまま叔孫の庶子である昭を後見して、家督に立てた。昭子(牛によって立てられた昭)が朝廷に立つと、その家の人々は言った。「豎牛は叔孫氏に災いをもたらし、家の正しい継承を乱した。嫡子を殺して庶子を立て、その上その邑まで自分のものにして、罪を逃れようとしている。これ以上大きな罪はない。すぐに殺すべきだ。」そこで豎牛を殺した。孔子は言った。「叔孫昭子が(豎牛を殺したことに)功をひけらかさなかったのは、なかなかできることではない。周任にこういう言葉がある。『政治を行う者は、私的な功労を賞さず、私的な怨みで罰しない。』詩経にも『はっきりとした徳行があれば、四方の国々もこれに従う』とある。昭子にはこの徳があった。」
解説

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