孔子家語 / 正論解
衛孫文子得罪於獻公,居戚。公卒未葬,文子擊鐘焉。延陵季子適晉,過戚,聞之曰:「異哉。夫子之在此,猶燕子巢於幕也。懼猶未也,又何樂焉?君又在殯,可乎?」文子於是終身不聽琴瑟。孔子聞之曰:「季子能以義正人,文子能克己服義;可謂善改矣。」
新字:衛孫文子得罪於献公,居戚。公卒未葬,文子擊鐘焉。延陵季子適晉,過戚,聞之曰:「異哉。夫子之在此,猶燕子巣於幕也。懼猶未也,又何楽焉?君又在殯,可乎?」文子於是終身不聴琴瑟。孔子聞之曰:「季子能以義正人,文子能克己服義;可謂善改矣。」
書き下し
衛の孫文子、獻公に罪を得て、戚に居る。公卒するも未だ葬らず、文子鐘を擊つ。延陵の季子、晉に適き、戚を過ぎ、之を聞きて曰く、「異なるかな。夫子の此に在るや、猶お燕子の幕に巢くうがごときなり。懼るること猶お未だしきに、又何ぞ樂しまんや。君又殯に在り、可ならんや。」文子是に於て終身琴瑟を聽かず。孔子之を聞きて曰く、「季子能く義を以て人を正し、文子能く己に克ちて義に服す。善く改むと謂うべし。」
現代語訳
衛の孫文子は献公に罪を得て、戚の地に住んでいた。献公が亡くなってまだ葬儀が終わっていないうちに、文子は鐘を鳴らして音楽を楽しんだ。延陵の季子(呉の季札)が晋に向かう途中、戚を通りかかりこれを聞いて言った。「奇妙なことだ。あなたがここにいる有様は、まるで燕の子が幕(垂れ幕)の上に巣を作るようなものだ。危うさをまだ自覚していないのに、その上何を楽しんでいるのか。しかも君主はまだ殯(かりもがり)の最中である。それでよいのか。」文子はこれを聞いて以後、生涯にわたって琴や瑟を聴かなくなった。孔子はこれを聞いて言った。「季子はよく道義によって人を正すことができ、文子はよく自分に打ち克って道義に従うことができた。善く過ちを改めたと言うべきだろう。」
解説
衛の孫文子が主君に罪を得て亡命先の戚にいながら、主君の喪中にもかかわらず音楽を楽しんでいたことを、呉の延陵季子が「燕の巣が幕の上にあるように危うい」とたとえて諫めた逸話です。季子の比喩は、危険な状況にありながらそれに気づかず享楽にふける愚かさを鮮やかに表現しています。文子はこの忠告を素直に受け入れ、生涯二度と音楽を聴かなかったとされ、孔子はその変化を「善く改めた」と評価しました。人からの厳しい忠告を素直に受け止め、実際に行動を改めることのできる人物こそ評価に値するという教えです。他者からの指摘に耳を傾け、自分の置かれた立場を客観的に見つめ直し、行動を改める勇気は、現代の人間関係や組織運営においても大切な資質といえます。
この章句が説くこと
孫文子延陵季子克己過ちを改める燕巣于幕
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