孔子家語 / 終記解
哀公誄曰:「昊天不吊,不慭遺一老。俾屏余一人以在位,煢煢余在疚。於乎哀哉!尼父無自律。」子貢曰:「公其不沒於魯乎?夫子有言曰:『禮失則昏,名失則愆;失志為昏,失所為愆。生不能用,死而誄之;非禮也。稱一人非名,君兩失之矣。』」
新字:哀公誄曰:「昊天不吊,不慭遺一老。俾屏余一人以在位,煢煢余在疚。於乎哀哉!尼父無自律。」子貢曰:「公其不没於魯乎?夫子有言曰:『礼失則昏,名失則愆;失志為昏,失所為愆。生不能用,死而誄之;非礼也。称一人非名,君両失之矣。』」
書き下し
哀公の誄に曰く、「昊天弔せず、慭(あえ)て一老を遺さず。余一人を屏として以て位に在らしむ。煢煢(けいけい)として余疚(やまい)に在り。於乎(ああ)哀しいかな。尼父よ、自ら律する無し。」子貢曰く、「公其れ魯に沒せざらんか。夫子言えること有りて曰く、『禮を失すれば則ち昏、名を失すれば則ち愆(あやま)つ。志を失うを昏と為し、所を失うを愆と為す。生きては用うる能わず、死しては之を誄す、禮に非ざるなり。一人と稱するは名に非ず、君兩(ふた)つながら之を失えり。』と。」
現代語訳
哀公の誄(しのびごと)にいう。「天は憐れんでくれず、この老臣一人すら私のもとに残しておいてはくれなかった。私一人を守りとして位にとどまらせているが、心細く病むような思いでいる。ああ、悲しいことよ。尼父(孔子)よ、もう自ら手本となる者はいない。」子貢が言った。「哀公はきっと魯で天寿を全うされないだろう。先生はかつてこうおっしゃっていた。『礼を失えば道理に暗くなり、名分を失えば過ちを犯す。志を失うことを昏といい、あるべき場所を失うことを愆という。生きている間に用いることができず、死んでから誄を述べるのは礼にかなわない。自らを「一人」と称するのも名分にかなわない。哀公はこの両方を失っている。』」
解説

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