孔子家語 / 七十二弟子解
宰予,字子我,魯人,有口才著名。
書き下し
宰予は、字は子我、魯の人、口才有るを以て著名なり。
現代語訳
宰予は字を子我といい、魯の国の人である。弁舌の才があることで名高かった。
解説
宰予、字を子我という弟子は、優れた弁舌の才によって知られていました。論語には、昼寝をしていたことを孔子に厳しく叱られた逸話や、三年の喪の期間について孔子と議論を交わした逸話が残されており、言葉の巧みさゆえに時に孔子から手厳しい評価を受けたことでも知られます。弁が立つことは長所である一方、行いが伴わなければ本当の信頼は得られないという緊張関係が、宰予をめぐる逸話には一貫して見られます。言葉の巧みさだけでなく、実践や誠実さが伴ってこそ人としての評価が定まるという教訓は、発信力が重視される現代にも通じる示唆といえます。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
宰予子我弁舌孔子言行
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