孔子家語 / 冠頌
懿子曰:「始冠必加緇布之冠,何也?」孔子曰:「示不忘古。太古冠布齋,則緇之。其緌也,吾未之聞。今則冠而幣之,可也。」
新字:懿子曰:「始冠必加緇布之冠,何也?」孔子曰:「示不忘古。太古冠布斎,則緇之。其緌也,吾未之聞。今則冠而幣之,可也。」
書き下し
懿子曰く、「始めて冠するに必ず緇布の冠を加うるは、何ぞや。」孔子曰く、「古を忘れざるを示すなり。太古は布を冠として齋すれば、則ち之を緇にす。其の緌は、吾未だ之を聞かず。今は則ち冠して之を幣とするも、可なり。」
現代語訳
懿子が尋ねた。「初めて冠を加えるとき、必ず黒い麻布の冠を用いるのはなぜですか。」孔子は答えた。「昔を忘れないことを示すためである。太古には麻布の冠をかぶって斎戒し、それを黒く染めていた。その冠に垂らす紐については、私はまだ聞いたことがない。今では冠をかぶった後、その布を賓客への贈り物とするのでよい。」
解説
元服の最初に黒い麻布の冠を用いる理由を問われ、孔子は「古を忘れないため」と答えます。太古の質素な冠の様式をあえて最初に用いることで、時代が下って儀礼が整っても、その根本にある素朴さを忘れない工夫であることが分かります。また孔子は知らないことについては「吾未だ之を聞かず」と率直に認めており、伝聞や推測で断定しない誠実な態度も見て取れます。形式を整えることと、その形式が何に由来するかを忘れないことの両方が大切だという教えです。
この章句が説くこと
緇布冠古礼起源誠実率直
関連する章句
-
孟子・離婁章句下孟子曰く、「言に實無きは不祥なり。不祥の實は、賢を蔽う者之に當る。」 <解説> この節は分かりにくい。朱注に云う、「或いは曰く、天下の言實に不祥なる者有る無し、惟れ賢を蔽い不祥の實を為すと、或いは曰く、言にして實無き者は不祥なり、故に賢を蔽い不祥の實を為す、二説同じからず、未だ孰れが是なるか知らず、疑うらくは或いは闕文有らん。」私は後説を採用し、かなり強引な解釈をした。やはり朱子の言うように闕分が有るのだろうか。
-
尚書・周官德を作せば心逸んじて日々休く、偽を作せば心勞して日々拙し。
-
論語 為政篇子曰、詩三百、一言以蔽之、曰思無邪。
-
孟子・離婁章句上孟子曰く、「下位に居りて、上に獲られざれば、民得て治む可からざるなり。上に獲らるるに道有り。友に信ぜられずんば、上に獲られず。友に信ぜらるるに道有り。親に事えて悅ばれずんば、友に信ぜられず。親に悅ばるるに道有り。身に反して誠ならずんば、親に悅ばれず。身を誠にするに道有り。善に明らかならずんば、其の身に誠ならず。是の故に誠は、天の道なり。誠を思うは、人の道なり。至誠にして動かざる者は、未だ之れ有らざるなり。誠ならずして、未だ能く動かす者有らざるなり。」
-
徒然草・第233段万の科あらじと思はば、何事にも誠ありて、人を分かず恭しく、言葉すくなからむには如かじ。男女老少みなさる人こそよけれども、殊に若くかたちよき人の、言うるはしきは、忘れがたく思ひつかるゝものなり。よろづのとがは、馴れたるさまに上手めき、所得たるけしきして、人をないがしろにするにあり。
-
尚書・君陳至治は馨香にして、神明に感ず。黍稷は馨と非ず、明德のみ惟れ馨し。