孔子家語 / 執轡
夫無銜勒而用棰策,馬必傷,車必敗;無德法而用刑,民必流,國必亡。治國而無德法,則民無修;民無修,則迷惑失道。如此上帝必以其為亂天道也。茍亂天道,則刑罰暴,上下相諛,莫知念忠,俱無道故也。今人言惡者,必比之於桀紂。其故何也?其法不聽,其德不厚。故民惡其殘虐,莫不籲嗟,朝夕祝之,升聞於天;上帝不蠲,降之以禍罰,災害並生,用殄厥世。故曰德法者,御民之本。
新字:夫無銜勒而用棰策,馬必傷,車必敗;無徳法而用刑,民必流,国必亡。治国而無徳法,則民無修;民無修,則迷惑失道。如此上帝必以其為乱天道也。茍乱天道,則刑罰暴,上下相諛,莫知念忠,俱無道故也。今人言悪者,必比之於桀紂。其故何也?其法不聴,其徳不厚。故民悪其残虐,莫不籲嗟,朝夕祝之,升聞於天;上帝不蠲,降之以禍罰,災害並生,用殄厥世。故曰徳法者,御民之本。
書き下し
夫れ銜勒無くして棰策を用うれば、馬必ず傷つき、車必ず敗る。徳法無くして刑を用うれば、民必ず流れ、国必ず亡ぶ。国を治めて徳法無ければ、則ち民修まる無し。民修まる無ければ、則ち迷惑して道を失う。此くの如きは上帝必ずこれを以て天道を乱すと為すなり。茍くも天道を乱せば、則ち刑罰暴に、上下相諛い、忠を念うを知る莫し、倶に道無き故なり。今人悪を言う者は、必ずこれを桀紂に比す。その故何ぞや。その法聴かれず、その徳厚からず。故に民その残虐を悪み、籲嗟せざる莫く、朝夕にこれを祝し、升りて天に聞こゆ。上帝蠲さず、これに降すに禍罰を以てし、災害並び生じ、用てその世を殄す。故に曰わく、徳法なる者は、民を御するの本なり、と。
現代語訳
そもそも銜勒(くつわ)を用いずに鞭ばかりを使えば、馬は必ず傷つき、車は必ず壊れます。徳と法を用いずに刑罰ばかりを使えば、民は必ず離散し、国は必ず滅びます。国を治めるのに徳と法がなければ、民は身を修めることがなく、民が身を修めなければ、道理に迷い惑って正しい道を見失います。このようになると、上帝(天帝)は必ずこれを天の道を乱すものとみなします。かりにも天の道が乱れれば、刑罰は暴虐となり、上も下も互いにへつらい合い、誰も忠義を思うことを知らなくなります。それはみな道が失われているためです。今の人が悪政を語るとき、必ずそれを桀・紂(夏・殷の暴君)に比べます。それはなぜでしょうか。彼らの法は民に受け入れられず、徳も厚くなかったからです。だから民はその残虐さを憎み、嘆き悲しまない者はなく、朝な夕なにその不満を訴え、その声は天にまで昇り届きました。上帝はこれを見過ごさず、災いと罰をくだし、災害が次々に起こって、その治世を絶やしてしまったのです。だからこう言うのです。「徳と法とは、民を治める根本である」と。
解説
この章句が説くこと
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孔子家語・六本孔子斉に在り、外館に舎る。景公造く。賓主の辞既に接するや、左右白して曰わく、「周の使い適に至り、先王の廟災すと言う。」景公覆た災は何れの王の廟なるかを問う。孔子曰わく、「此れ必ず厘王の廟ならん。」公曰わく、「何を以て之れを知るや。」孔子曰わく、「詩に云う、『皇皇たる上天、其の命忒わず。天の善を以てするや、必ず其の徳に報ゆ。』禍も亦た之れの如し。夫れ厘王は文武の制を変じ、玄黄華麗の飾りを作り、宮室崇峻に、輿馬奢侈にして、振るう可からず。故に天殃宜しく其の廟に加うべし、是を以て之れを占なうに然りと為す。」公曰わく、「天何ぞ其の身を殃せずして、其の廟に罰を加うるや。」孔子曰わく、「蓋し文武を以ての故なり。若し其の身を殃せば、則ち文武の嗣、乃ち殄びんとするに無からんや。故に当に其の廟を殃すべく、以て其の過ちを彰らかにす。」俄頃にして、左右報じて曰わく、「災する所は、厘王の廟なり。」景公驚き起ちて、再拝して曰わく、「善いかな、聖人の智、人に過ぐること遠し。」
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孔子家語・大婚解公曰く、「君子何ぞ天道を貴ぶや。」孔子曰く、「其の已まざるを貴ぶなり。日月東西相従いて已まざるが如きなり。是れ天道なり。閉じずして能く久しき、是れ天道なり。無為にして物成る、是れ天道なり。已に成りて之を明らかにする、是れ天道なり。」公曰く、「寡人且つ愚冥なり、幸いに子の心を煩わさん。」孔子蹴然として席を避けて対えて曰く、「仁人は物に過ぎず、孝子は親に過ぎず。是の故に仁人の親に事うるや天に事うるが如く、天に事うるや親に事うるが如し。此を孝子の身を成すと謂う。」公曰く、「寡人既に此くの如き言を聞く、後の罪を如何せんこと無きか。」孔子対えて曰く、「君子此の言に及ぶは、是れ臣の福なり。」
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史記 伯夷列伝或いは曰く、「天道は親無く、常に善人に与す」と。伯夷・叔斉の若きは、善人と謂ふ可き者か、非ざるか。仁を積み行ひを潔くすること此くの如くして餓死す。且つ七十子の徒、仲尼独り顔淵をのみ薦めて学を好むと為すも、然るに回や、屢々空しく、糟糠にだも厭かずして、卒に蚤夭す。天の善人に報施するは、其れ何如ぞや。盗跖は日々不辜を殺し、人の肉を肝し、暴戻恣睢にして、党を聚むること数千人、天下に横行するも、竟に寿を以て終はる。是れ何の徳に遵ふや。此れ其の尤も大いに彰明較著なる者なり。近世に至るが若きは、操行軌ならず、専ら忌諱を犯し、而も身を終ふるまで逸楽し、富厚にて世を累ぬるも絶えず。或いは地を択びて之を蹈み、時ありて然る後に言を出だし、行ひは径に由らず、公正に非ずんば憤りを発せず、而るに禍災に遇ふ者は、勝げて数ふ可からざるなり。余、甚だ惑ふ。儻くは所謂天道は、是か非か。
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説苑・說叢天與えて取らざれば、反って其の咎を受く。時至りて迎えざれば、反って其の殃を受く。天地親しむ無く、常に善人に與す。天道常有り、堯の為に存せず、桀の為に亡びず。善を積むの家には、必ず餘慶有り。惡を積むの家には、必ず餘殃有り。一噎の故に、穀を絕ちて食らわず。一蹶の故に、足を卻けて行かず。心天地の如き者は明らかに、行い繩墨の如き者は章らかなり。位高くして道大なる者は從い、事大にして道小なる者は凶なり。言疑わしき者は犯す無く、行い疑わしき者は從う無し。蠹蝝は柱梁を仆し、蚊虻は牛羊を走らす。
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言志四録・南洲手抄自ら彊めて息まざるは天道なり、君子の以ゐる所なり。虞舜の孳孳として善を為し、大禹の日に孜孜せんことを思ひ、成湯の苟に日に新にせる、文王の遑あき暇あらざる、周公の坐して以て旦を待つ、孔子の憤りを発して食を忘るる如きは、皆是なり。彼の徒に静養瞑坐を事とすのみならば、則ち此の学脈と背馳す。
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