孔子家語 / 困誓
孔子適衛,路出於蒲,會公叔氏以蒲叛衛而止之。孔子弟子有公良儒者,為人賢,長有勇力。以私車五乘從夫子行,喟然曰:「昔吾從夫子遇難於匡,又伐樹於宋。今遇困於此,命也夫。與其見夫子仍遇於難,寧我鬥死。」挺劍而合眾,將與之戰。蒲人懼,曰:「茍無適衛,吾則出子以盟。」孔子而出之東門,孔子遂適衛。子貢曰:「盟可負乎?」孔子曰:「要我以盟,非義也。」衛侯聞孔子之來,喜而於郊迎之。問伐蒲,對曰:「可哉?」公曰:「吾大夫以為蒲者,衛之所以恃晉楚也。伐之,無乃不可乎?」孔子曰:「其男子有死之志。吾之所伐者,不過四五人矣。」公曰:「善。」卒不果伐。
新字:孔子適衛,路出於蒲,会公叔氏以蒲叛衛而止之。孔子弟子有公良儒者,為人賢,長有勇力。以私車五乗従夫子行,喟然曰:「昔吾従夫子遇難於匡,又伐樹於宋。今遇困於此,命也夫。与其見夫子仍遇於難,寧我鬥死。」挺剣而合衆,将与之戦。蒲人懼,曰:「苟無適衛,吾則出子以盟。」孔子而出之東門,孔子遂適衛。子貢曰:「盟可負乎?」孔子曰:「要我以盟,非義也。」衛侯聞孔子之来,喜而於郊迎之。問伐蒲,対曰:「可哉?」公曰:「吾大夫以為蒲者,衛之所以恃晋楚也。伐之,無乃不可乎?」孔子曰:「其男子有死之志。吾之所伐者,不過四五人矣。」公曰:「善。」卒不果伐。
書き下し
孔子衛に適き、路蒲に出づ、公叔氏の蒲を以て衛に叛くに会いて之を止む。孔子の弟子に公良儒なる者有り、人と為り賢にして、長じて勇力有り。私車五乗を以て夫子の行きに従い、喟然として曰わく、「昔吾夫子に従いて匡に難に遇い、又宋に樹を伐らる。今此に困に遇う、命なるかな。夫子を仍りて難に遇うを見んよりは、寧ろ我闘いて死せん。」剣を挺して衆を合わせ、将に之と戦わんとす。蒲人懼れて曰わく、「茍も衛に適く無くんば、吾則ち子を出だすに盟を以てせん。」孔子之を東門に出だし、孔子遂に衛に適く。子貢曰わく、「盟は負く可きか。」孔子曰わく、「我に要むるに盟を以てす、義に非ざるなり。」衛侯孔子の来たるを聞き、喜びて郊に迎う。蒲を伐つを問う、対えて曰わく、「可なるかな。」公曰わく、「吾が大夫以て蒲は、衛の晋楚を恃む所以と為す。之を伐たば、乃ち不可ならざるか。」孔子曰わく、「其の男子死の志有り。吾が伐つ所の者は、四五人に過ぎざるなり。」公曰わく、「善し。」卒に伐たず。
現代語訳
孔子が衛の国へ向かい、途中で蒲の地を通ったところ、ちょうど公叔氏が蒲の地をもって衛に叛いたばかりで、一行は行く手を阻まれた。孔子の弟子に公良儒という者がいた。人柄は優れ、また体格もよく勇力があった。彼は自分の車五台を率いて先生の旅に従っていたが、嘆息して言った。「昔、私は先生に従って匡で難に遭い、また宋では木を伐り倒されるという妨害を受けました。今またここで苦難に遭う、これも運命でしょう。先生がまたも難に遭われるのを見るくらいなら、むしろ私は戦って死にたいのです。」そう言って剣を抜き、仲間を集めて、まさに戦おうとした。蒲の人々はこれを恐れて言った。「もし衛には行かないというのであれば、我々はあなた方を盟約によって解放しましょう。」孔子一行はこうして東門から出されることになり、孔子はそのまま衛へと向かった。子貢が言った。「あの盟約は破ってもよいものでしょうか。」先生は言った。「無理強いされて結ばされた盟約は、そもそも正義にかなうものではない。」衛の君主は孔子が来ることを聞き、喜んで郊外まで出迎えた。そして蒲を討伐すべきかどうかを尋ねると、孔子は答えた。「討伐してもよいでしょう。」君主は言った。「私の大夫たちは、蒲の地こそ衛が晋や楚に対抗する頼みの綱だと考えている。これを討てば、むしろよくないのではないか。」孔子は言った。「あの地の男たちは死をも辞さない覚悟を持っています。しかし私が討つべき相手は、(叛乱を主導した)せいぜい四、五人にすぎません。」君主は言った。「よろしい。」結局、討伐は行われなかった。
解説

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史記 孔子世家故に陳に分かつに粛慎の矢を以てす」と。試みに之を故府に求むるに、果たして之を得たり。孔子陳に居ること三歳、会々晋楚彊を争ひ、更々陳を伐ち、呉の陳を侵すに及び、陳常に寇せらる。孔子曰く、「帰らんか帰らんか。吾が党の小子は狂簡、進取して其の初を忘れず」と。是に於て孔子陳を去る。蒲を過ぐ、会々公叔氏蒲を以て畔く、蒲人孔子を止む。弟子に公良孺なる者有り、私車五乗を以て孔子に従ふ。其の人と為り長賢にして、勇力有り、謂ひて曰く、「吾昔夫子に従ひて難に匡に遇ふ、今又難に此に遇ふ、命なるのみ。吾夫子と再び難に罹る、寧ろ闘ひて死せん」と。闘ふこと甚だ疾し。蒲人懼れ、孔子に謂ひて曰く、「苟も衛に適くこと毋くんば、吾子を出さん」と。之と盟ひ、孔子を東門より出す。孔子遂に衛に適く。子貢曰く、「盟は負くべきか」と。孔子曰く、「要盟なり、神は聴かず」と。衛の霊公孔子の来たるを聞き、喜び、郊迎す。問ひて曰く、「蒲は伐つべきか」と。対へて曰く、「可なり」と。霊公曰く、「吾が大夫以て不可と為す。今蒲は、衛の晋楚を待つ所以なり、衛を以て之を伐つは、乃ち不可なること無からんや」と。孔子曰く、「其の男子は死するの志有り、婦人は西河を保つの志有り。吾が伐つ所の者は四五人に過ぎず」と。霊公曰く、「善し」と。然れども蒲を伐たず。霊公老い、政に怠り、孔子を用ひず。孔子喟然として歎じて曰く、「苟も我を用ふる者有らば、期月のみにして可なり、三年にして成る有らん」と。孔子行く。仏肸中牟の宰為り。趙簡子范・中行を攻め、中牟を伐つ。仏肸畔き、人をして孔子を召さしむ。孔子往かんと欲す。子路曰く、「由諸を夫子に聞く、『其の身親ら不善を為す者には、君子入らざるなり』と。今仏肸親ら中牟を以て畔く、子往かんと欲するは、之を如何」と。孔子曰く、「是の言有り。堅しと曰はずや、磨すれども磷がず。白しと曰はずや、涅すれども淄まず。我豈に匏瓜ならんや、焉んぞ能く繫りて食はれざらん」と。孔子磬を撃つ。
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『智囊』權奇・孔子・淮南相孔子、陳に居り、去りて蒲を過ぐ。会たま公叔氏、蒲を以て叛す。蒲人、孔子を止めて之に謂いて曰く、「苟くも衛に適く無くんば、吾、子を出さん」と。之と盟し、孔子を東門より出す。孔子、遂に衛に適く。子貢曰く、「盟は負くべけんや」と。孔子曰く、「要盟なり、神は聴かず」と。〔評〕大信は信ならず。孝景三年、七国反す。呉の使者、淮南に至る。淮南王、発して共に之に応ぜんと欲す。其の相曰く、「王、必ず呉に応ぜんと欲せば、臣、願わくは将と為らん」と。王、乃ち之に属す。相、已に兵を将いて、因りて城守し、王に聴かずして、漢の為にす。〔議〕腐儒の若きは必ず痛言切諫するも、水を以て石に投ずるが如く、何の益あらん。此の事は、酈寄の友を売り、太尉を北軍に嫁するに比して同一軸、而して更に撇脱を覚ゆ。
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史記 仲尼弟子列伝子路蒲の大夫と為り、孔子に辞す。孔子曰く、「蒲は壮士多く、又治め難し。然れども吾汝に語げん。恭にして以て敬なれば、以て勇を執るべし。寛にして以て正なれば、以て衆に比すべし。恭正にして以て静なれば、以て上に報ゆべし」と。初め、衛の霊公に寵姫有り南子と曰ふ。霊公の太子蕢聵南子に過を得、誅を懼れて出奔す。霊公卒するに及び夫人公子郢を立てんと欲す。郢肯んぜず、曰く、「亡人太子の子輒在り」と。是に於いて衛輒を立てて君と為す、是れ出公為り。出公立つこと十二年、其の父蕢聵外に居り、入るを得ず。子路衛の大夫孔悝の邑宰と為る。蕢聵乃ち孔悝と乱を作し、謀りて孔悝の家に入り、遂に其の徒と出公を襲ひ攻む。出公魯に奔り、而して蕢聵入りて立つ、是れ荘公為り。孔悝乱を作すに方りて、子路外に在り、之を聞きて馳せ往く。子羔の衛の城門を出づるに遇ふ、子路に謂ひて曰く、「出公去れり、而して門已に閉づ、子還るべし、空しく其の禍を受くる毋かれ」と。子路曰く、「其の食を食む者は其の難を避けず」と。子羔卒に去る。使者の城に入る有り、城門開く、子路随ひて入る。蕢聵に造る、蕢聵孔悝と台に登る。子路曰く、「君焉んぞ孔悝を用ひん。請ふ得て之を殺さん」と。蕢聵聴かず。是に於いて子路台を燔かんと欲す、蕢聵懼れ、乃ち石乞・壺黶を下して子路を攻めしめ、子路の纓を撃ち断つ。子路曰く、「君子は死すとも冠は免がず」と。遂に纓を結びて死す。孔子衛の乱を聞きて、曰く、「嗟乎、由死せん」と。已にして果たして死す。故に孔子曰く、「吾由を得てより、悪言耳に聞こえず」と。是の時子貢魯の為に斉に使ひす。
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史記 孔子世家桓子卒に斉の女楽を受け、三日政を聴かず。郊して、又膰俎を大夫に致さず。孔子遂に行き、屯に宿す。而して師己送りて曰く、「夫子は則ち罪に非ず」と。孔子曰く、「吾歌はんこと可ならんか」と。歌ひて曰く、「彼の婦の口、以て出走すべし。彼の婦の謁、以て死敗すべし。蓋し優なるかな游なるかな、維れ以て歳を卒へん」と。師己反る、桓子曰く、「孔子亦た何をか言へる」と。師己実を以て告ぐ。桓子喟然として嘆じて曰く、「夫子我を罪するに羣婢の故を以てするなるかな」と。孔子遂に衛に適き、子路の妻の兄顔濁鄒の家に主たり。衛の霊公孔子に問ふ、「魯に居りて禄を得ること幾何ぞ」と。対へて曰く、「粟六万を奉ず」と。衛人も亦た粟六万を致す。居ること之を頃くして、或ひと孔子を衛の霊公に譖す。霊公、公孫余仮をして一たび出で一たび入らしむ。孔子罪を獲んことを恐れ、居ること十月にして、衛を去る。将に陳に適かんとし、匡を過ぐ、顔刻僕為り、其の策を以て之を指して曰く、「昔吾此に入りしは、彼の缺けたるに由るなり」と。匡人之を聞き、以て魯の陽虎と為す。陽虎嘗て匡人に暴す、匡人是に於て遂に孔子を止む。孔子の状陽虎に類す、拘へらるること五日。顔淵後る、子曰く、「吾汝を以て死せりと為す」と。顔淵曰く、「子在す、回何ぞ敢へて死せん」と。匡人孔子を拘ふること益々急なり、弟子懼る。孔子曰く、「文王既に没す、文茲に在らずや。天の将に斯の文を喪ぼさんとするや、後死の者斯の文に与るを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人其れ予を如何せん」と。孔子、従者をして甯武子の臣と為りて衛に於てせしめ、然る後に去るを得たり。去りて即ち蒲を過ぐ。月余にして、衛に反り、蘧伯玉の家に主たり。霊公の夫人に南子なる者有り、人をして孔子に謂はしめて曰く、「四方の君子の辱くも寡君と兄弟為らんと欲する者は、必ず寡小君に見ゆ。寡小君見えんことを願ふ」と。孔子辞謝するも、已むを得ずして之に見ゆ。夫人絺帷の中に在り。孔子門に入り、北面して稽首す。
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孔子家語・困誓孔子宋に之く、匡人簡子甲士を以て之を囲む。子路怒り、戟を奮いて将に与に戦わんとす。孔子之を止めて曰わく、「悪くんぞ仁義を修めて世俗の悪を免れざる者有らんや。夫れ詩書の講ぜざる、礼楽の習わざるは、是れ丘の過ちなり。若し先王を述べ、古法を好むを以て咎と為さば、則ち丘の罪に非ざるなり。之を命なるかな。歌え、予汝に和せん。」子路琴を弾じて歌い、孔子之に和す。曲三たび終わりて、匡人甲を解きて罷む。孔子曰わく、「高崖を観ざれば、何を以て顛墜の患いを知らんや。深泉に臨まざれば、何を以て沒溺の患いを知らんや。巨海を観ざれば、何を以て風波の患いを知らんや。之を失う者は、其れ此に在るか。士此の三者を慎めば、則ち身に累無し。」
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孔子家語・困誓他日、霊公又夫子と語る、飛鴈の過ぐるを見て之を仰視し、色悦ばず。孔子乃ち逝く。