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孔子家語 / 顏回

顏回問於孔子曰:「臧文仲、武仲孰賢?」孔子曰:「武仲賢哉。」顏回曰:「武仲世稱聖人而身不免於罪,是智不足稱也;好言兵討,而挫銳於邾,是智不足名也。夫文仲其身雖歿,而言不朽。惡有未賢?」孔子曰:「身歿言立,所以為文仲也。然猶有不仁者三,不智者三,是則不及武仲也。」回曰:「可得聞乎?」孔子曰:「下展禽,置六關,妾織蒲;三不仁。設虛器,縱逆祀,祠海鳥;三不智。武仲在齊,齊將有禍,不受其田,以避其難;是智之難也。夫臧武仲之智而不容於魯,抑有由焉。作而不順,施而不恕也夫。夏書曰:『念茲在茲,順事恕施。』」

新字:顏回問於孔子曰:「臧文仲、武仲孰賢?」孔子曰:「武仲賢哉。」顏回曰:「武仲世称聖人而身不免於罪,是智不足称也;好言兵討,而挫銳於邾,是智不足名也。夫文仲其身雖歿,而言不朽。悪有未賢?」孔子曰:「身歿言立,所以為文仲也。然猶有不仁者三,不智者三,是則不及武仲也。」回曰:「可得聞乎?」孔子曰:「下展禽,置六関,妾織蒲;三不仁。設虚器,縦逆祀,祠海鳥;三不智。武仲在斉,斉将有禍,不受其田,以避其難;是智之難也。夫臧武仲之智而不容於魯,抑有由焉。作而不順,施而不恕也夫。夏書曰:『念茲在茲,順事恕施。』」

書き下し

顏回孔子に問いて曰わく、「臧文仲・武仲孰れか賢なる。」孔子曰わく、「武仲賢なるかな。」顏回曰わく、「武仲世に聖人と称せらるるも身罪を免れず、是れ智称するに足らざるなり。兵討を言うを好みて、邾に鋭を挫かる、是れ智名づくるに足らざるなり。夫れ文仲は其の身歿すと雖も、言朽ちず。悪くんぞ未だ賢ならざる有らんや。」孔子曰わく、「身歿して言立つ、文仲為る所以なり。然れども猶お不仁なる者三、不智なる者三有り、是れ則ち武仲に及ばざるなり。」回曰わく、「聞くを得可きか。」孔子曰わく、「展禽を下し、六関を置き、妾に蒲を織らしむ、三不仁。虚器を設け、逆祀を縦にし、海鳥を祠る、三不智。武仲斉に在るとき、斉将に禍有らんとするに、其の田を受けず、以て其の難を避く。是れ智の難きなり。夫れ臧武仲の智にして魯に容れられざるは、抑々由有るなり。作して順わず、施して恕せざればなり。夏書に曰わく、『茲を念じ茲に在り、事に順い施すに恕す』と。」

現代語訳

顔回が孔子に尋ねた。「臧文仲と臧武仲では、どちらが優れているでしょうか。」先生は言った。「武仲の方が優れているだろう。」顔回は言った。「武仲は世に聖人と称されながら、自身は罪を免れませんでした。これでは知恵者と称するに足りません。また好んで軍事を論じながら、邾との戦いで鋭鋒をくじかれました。これでは知恵者と呼ぶに足りません。一方の文仲は、その身は亡くなっても、その言葉は朽ちることなく後世に伝わっています。どうしてまだ賢者でないということがありましょうか。」先生は言った。「身が亡くなっても言葉が残ること、それが文仲たるゆえんだ。しかし文仲にはなお、不仁な点が三つ、不智な点が三つある。だから武仲には及ばないのだ。」顔回は言った。「お聞かせいただけますか。」先生は言った。「賢者の展禽を退けて用いず、関所を六つも設けて民を苦しめ、妾に蒲筵を織らせて利益を貪った。これが三つの不仁である。無用の器物を設け、順序を無視した祭祀を許し、海鳥をわけもわからず祭った。これが三つの不智である。一方の武仲は、斉にいたとき、斉に禍が起こることを見越して、与えられる田をあえて受け取らず、それによって難を避けた。これは智を働かせることの難しさをよく示している。そもそも臧武仲ほどの知恵者でありながら魯に容れられなかったのには、それなりの理由がある。事を行うのに道理に従わず、施しをするのに思いやりを欠いていたからだ。夏書にはこうある。『この道理を常に心に留め、事にあたっては道理に従い、施しには思いやりをもってせよ』と。」

解説

臧文仲と臧武仲、どちらが優れた人物かをめぐる顔回と孔子の問答です。顔回は世評の高い武仲より、言葉が後世に残る文仲を評価しますが、孔子は評価の視点を変え、文仲には賢者を退けるなど三つの不仁と三つの不智があったとして、むしろ危機を見越して身を処した武仲の判断力を上に置きます。ただし最後には、武仲ほどの知恵者が結局は魯に受け入れられなかった理由として、道理に従わず思いやりを欠いた行いを指摘し、単なる有能さだけでは人望を得られないことも示しています。世間の評判や表面的な名声だけで人物を判断せず、その言動の背後にある仁と智の両面から評価すべきだという、人物評価の奥深さを教える一段です。

この章句が説くこと

臧文仲臧武仲人物評価仁と智展禽

この一句を、あなたの毎日に。

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