孔子家語 / 弟子行
獨居思仁,公言仁義。其於詩也,則一日三覆,白圭之玷。是宮絳之行也。孔子信其能仁,以為異士。
新字:独居思仁,公言仁義。其於詩也,則一日三覆,白圭之玷。是宮絳之行也。孔子信其能仁,以為異士。
書き下し
獨居して仁を思い、公言して仁義す。其の詩に於けるや、則ち一日に三たび白圭の玷を覆す。是れ宮絳の行なり。孔子其の能く仁なるを信じ、以て異士と為す。
現代語訳
一人でいるときも仁を思い、人前で語るときも仁義を口にする。詩経の「白圭の玷(白い玉の傷)」の句を、一日に三度も繰り返し口ずさんで自らを戒める。これが宮絳の人となりである。孔子は彼が仁を実践できる人物であると信じ、並外れた人物だと評価した。
解説
宮絳は、独りでいるときも人前でも仁義を思い続け、詩経の「白圭之玷(白い玉の傷は磨いて消せるが、言葉の失は取り返しがつかない)」の句を日に三度も繰り返し唱えて自らを戒めたと伝えられます。誰も見ていないところでも姿勢を崩さないという態度は「慎独」の精神に通じ、言葉の重みを繰り返し自らに言い聞かせる習慣は、発言に責任を持つ姿勢の基礎となります。孔子はこの弟子を「異士」、すなわち並外れた人物と評価しており、地道な自己戒めの積み重ねが人格の完成につながることを示しています。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
宮絳慎独白圭之玷仁義自己戒め
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孔子家語・弟子行夫れ能く夙に興き夜に寐ね、諷誦崇禮す。行いて過ちを貳びせず、言を稱すること茍しくせず、是れ顏回の行なり。孔子之を說くに詩を以て曰わく、『茲の一人を媚び、侯れ慎德に應ず。永く孝思を言う、孝思惟れ則る。』と。
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礼記・緇衣子曰く、「言従いてこれを行えば、則ち言は飾るべからず。行い従いてこれを言えば、則ち行いは飾るべからず。故に君子は言を寡(すく)なくして、行いて以てその信を成せば、則ち民はその美を大にしてその悪を小にすることを得ず。詩に云う、『白圭(はっけい)の玷(か)けたるは、尚磨くべし。斯の言の玷けたるは、為(おさ)むべからず』と。小雅に曰く、『允(まこと)なるかな君子、展(まこと)に大いに成る』と。君奭(くんせき)に曰く、『昔上帝に在りて、周田(しゅうでん)文王の徳を観(み)、その大命を厥(そ)の躬(み)に集む』」と。
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論語・先進篇南容『白圭』を三復す。孔子、その兄の子を以てこれに妻す。
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荀子・法行篇子貢孔子に問いて曰く、君子の玉を貴びて珉(びん)を賤しむ所以の者は、何ぞや。夫の玉の少なくして珉の多きが為めなるか、と。孔子曰く、悪(ああ)、賜よ、是れ何の言ぞや。夫れ君子豈に多ければ之を賤しみ、少なければ之を貴ばんや。夫れ玉なる者は、君子徳を焉に比す。温潤にして沢あるは、仁なり。栗(かた)くして理あるは、知なり。堅剛にして屈せざるは、義なり。廉にして劌(きずつ)けざるは、行なり。折るるも撓まざるは、勇なり。瑕(きず)と適(よ)きところと並び見(あらわ)るるは、情なり。之を扣(たた)けば、其の声清揚にして遠く聞こえ、其の止むや輟然たるは、辞なり。故に珉の雕雕たる有りと雖も、玉の章章たるに若かず。詩に曰く、言(ここ)に君子を念えば、温として其れ玉の如し、と。此れ之を謂うなり。
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礼記・表記子曰く、中心仁に安んずる者は、天下一人のみ。《大雅》に曰く、「徳の輶(かろ)きこと毛の如きも、民克(よ)くこれを挙ぐること鮮(すくな)し。我儀(たぐい)これを図るに、惟れ仲山甫(ちゅうざんぽ)これを挙ぐ。愛(お)しいかな、これを助くる莫し」と。 《小雅》に曰く、「高山は仰ぎ、景行は行く」と。子曰く、詩の仁を好むこと此くの如し。道に郷(むか)いて行き、中道にして廃(たお)れ、身の老いたるを忘れ、年数の足らざるを知らず、俛焉(べんえん)として日に孳孳(しし)たる有り、斃(たお)れて後已む。
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