孔子家語 / 好生
孔子曰:「吾於《甘棠》,見宗廟之敬甚矣,思其人必愛其樹,尊其人必敬其位,道也。」
書き下し
孔子曰わく、「吾甘棠に於て、宗廟の敬甚だしきを見る。其の人を思えば必ず其の樹を愛し、其の人を尊べば必ず其の位を敬う、道なり。」
現代語訳
孔子は言った。「私は『甘棠』の詩において、人々が祖先の廟を敬う思いの深さを見た。ある人物を慕う心があれば、必ずその人ゆかりの木さえも大切にするものであり、ある人物を尊ぶ心があれば、必ずその人の座した位までも敬うものである。これが道というものだ。」
解説
『詩経』の「甘棠」の詩(周の召公が木の下で善政を行ったことを慕い、後世の人々がその木を伐らずに大切にしたという故事に基づく詩)を引きながら、孔子が人を敬う心の表れ方について述べた言葉です。人を慕う気持ちは、その人自身に対してだけでなく、その人にゆかりのある物や場所にまで及ぶものであり、逆に言えば、ゆかりの物や場所を大切にする行為そのものが、その人への敬意の表れであるという考え方です。祖先や恩人への敬意を、その人が使った物や座った場所を大切にするという具体的な形で示すことは、記念碑や遺品、ゆかりの地を大切にする現代の慣習にも通じる、人間の自然な心情への深い洞察を示しています。
この章句が説くこと
甘棠召公敬愛遺徳思其人愛其樹
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孔子家語・廟制子羔問いて曰く、「祭典に云う、『昔有虞氏は顓頊を祖とし堯を宗とし、夏后氏も亦顓頊を祖とし禹を宗とし、殷人は契を祖とし湯を宗とし、周人は文王を祖とし武王を宗とす。』此の四祖四宗、或いは乃ち代を異にし、或いは其れ祖を考うるに功德有りて、其の廟可なり。若し有虞の堯を宗とし、夏の顓頊を祖とするがごときは、皆代を異にして功德有る者なり。亦以て其の廟を存すべきか。」孔子曰く、「善し。汝の聞く所のごときなり。殷周の祖宗のごときは、其の廟以て毀たざるべし。其の它の祖宗なる者は、功德殊ならざれば、殊代に在りと雖も、亦以て疑い無かるべし。詩に云う、『蔽芾たる甘棠、翦る勿れ伐る勿れ、邵伯の憩いし所なり。』周人の邵公に於けるや、其の人を愛して猶お其の舍りし所の樹を敬う。況んや祖宗の其の功德ありて以て其の廟を尊奉せざるべけんや。」
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