後世への最大遺物 / 第二回・三分か四分の間に煙となった
そうすると翌朝彼の起きない前に下女がやってきて、家の主人が起きる前にストーブに火をたきつけようと思って、ご承知のとおり西洋では紙をコッパの代りに用いてクベますから、何か好い反古はないかと思って調べたところが机の前に書いたものがだいぶひろがっていたから、これは好いものと思って、それをみな丸めてストーブのなかへ入れて火をつけて焼いてしまった。カーライルの何十年ほどかかった『革命史』を焼いてしまった。時計の三分か四分の間に煙となってしまった。それで友人がこのことを聞いて非常に驚いた。何ともいうことができない。ほかのものであるならば、紙幣を焼いたならば紙幣を償うことができる、家を焼いたならば家を建ててやることもできる、しかしながら思想の凝って成ったもの、熱血を注いで何十年かかって書いたものを焼いてしまったのは償いようがない。
書き下し
そうすると翌朝、彼の起きない前に下女がやってきて、家の主人が起きる前にストーブに火をたきつけようと思って、ご承知のとおり西洋では紙を木っ端の代りに用いてくべますから、何か好い反古はないかと思って調べたところが、机の前に書いたものがだいぶひろがっていたから、これは好いものと思って、それをみな丸めてストーブのなかへ入れて火をつけて焼いてしまった。カーライルの何十年ほどかかった『革命史』を焼いてしまった。時計の三分か四分の間に煙となってしまった。それで友人がこのことを聞いて非常に驚いた。何ともいうことができない。ほかのものであるならば、紙幣を焼いたならば紙幣を償うことができる、家を焼いたならば家を建ててやることもできる、しかしながら思想の凝って成ったもの、熱血を注いで何十年かかって書いたものを焼いてしまったのは、償いようがない。
現代語訳
すると翌朝、彼が起きる前に女中がやってきて、家の主人が起きる前にストーブに火を焚きつけようと思い、ご存じのとおり西洋では紙を木っ端の代わりにくべますから、何かよい反故はないかと探したところ、机の前に書いたものがだいぶ広がっていたので、これはよいと思って、それを全部丸めてストーブに入れ、火をつけて焼いてしまいました。カーライルが何十年もかけた『革命史』を焼いてしまった。時計の三分か四分の間に煙になってしまった。友人はこれを聞いて非常に驚いた。何とも言いようがない。他のものなら、紙幣を焼いたなら紙幣で償える、家を焼いたなら家を建ててやることもできる。しかし思想が凝って成ったもの、熱血を注いで何十年もかけて書いたものを焼いてしまったのは、償いようがありません。
解説
この章句が説くこと
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『後世への最大遺物』第二回・もう一度書き直せしかしながら、その間に己で己に帰っていうに「トーマス・カーライルよ、汝は愚人である、汝の書いた『革命史』はそんなに貴いものではない、第一に貴いのは汝がこの艱難に忍んで、そうしてふたたび筆を執ってそれを書き直すことである、それが汝の本当にえらいところである、実にそのことについて失望するような人間が書いた『革命史』を社会に出しても役に立たぬ、それゆえにもう一度書き直せ」といって自分で自分を鼓舞して、ふたたび筆を執って書いた。その話はそれだけの話です。しかしわれわれは、そのときのカーライルの心中にはいったときには、実に推察の情溢るるばかりであります。カーライルのえらいことは『革命史』という本のためにではなくして、火にて焼かれたものをふたたび書き直したということである。
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『後世への最大遺物』第二回・十日ばかりぼんやりとして死んだものはもう活き帰らない。それがために腹を切ったところが、それまでであります。それで友人に話したところが、友人も実にどうすることもできないで一週間黙っておった。何といってよいかわからぬ。どうも仕方がないから、そのことをカーライルにいった。そのときにカーライルは十日ばかりぼんやりとして何もしなかったということであります。さすがのカーライルもそうであったろうと思います。それで腹が立った。ずいぶん短気の人でありましたから、非常に腹を立てた。彼はそのときは歴史などは抛りぽかして、何にもならないつまらない小説を読んだそうです。
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『後世への最大遺物』第二回・原稿を友人に貸したそれからしてその本が原稿になって、これを罫紙に書いてしまった。それからして、これはもうじきに出版するときがくるだろうと思って待っておった。そのときに友人が来まして、カーライルに遇ったところが、カーライルがその話をしたら「実に結構な書物だ、今晩一読を許してもらいたい」といった。そのときにカーライルは、自分の書いたものはつまらないものだと思って人の批評を仰ぎたいと思ったから、貸してやった。貸してやると、その友人はこれを家へ持っていった。そうすると友人の友人がやってきて、これを手に取って読んでみて、「これは面白い本だ、一つどうぞ今晩私に読ましてくれ」といった。そこで友人がいうには「明日の朝早く持ってこい、そうすれば貸してやる」といって貸してやったら、その人はまたこれをその家へ持っていって一所懸命に読んで、暁方まで読んだところが、あしたの事業に妨げがあるというので、その本をば机の上に抛り放しにして、床について自分は寝入ってしまった。
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『後世への最大遺物』第二回・生涯の血を絞って書いた本それでわれわれはその本に非常の価値を置きます。カーライルがわれわれに遺してくれたこの本は、実にわれわれの貴ぶところでございます。しかしながら、フランスの革命を書いたカーライルの生涯の実験を見ますと、この本よりかまだ立派なものがあります。その話は長いけれども、ここにあなたがたに話すことを許していただきたい。カーライルがこの書を著わすのは、彼にとってはほとんど一生涯の仕事であった。ちょっと『革命史』を見まするならば、このくらいの本は誰にでも書けるだろうと思うほどの本であります。けれども歴史的の研究を凝らし、広く材料を集めて成った本でありまして、実にカーライルが生涯の血を絞って書いた本であります。それで何十年ですか忘れましたが、何十年かかかって、ようやく自分の望みのとおりの本が書けた。
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『後世への最大遺物』第二回・やりそこなっても勇気を起せもし、あるいはその本が遺っておらずとも、彼は実に後世への非常の遺物を遺したのであります。たといわれわれがいくらやりそこなっても、いくら不運にあっても、そのときに力を回復して、われわれの事業を捨ててはならぬ、勇気を起してふたたびそれに取りかからなければならぬ、という心を起してくれたことについて、カーライルは非常な遺物を遺してくれた人ではないか。
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『後世への最大遺物』第二回・カーライルの『フランス革命史』先日カーライルの伝を読んで感じました。ご承知の通り、カーライルが書いたもののなかで一番有名なものはフランス革命の歴史でございます。それである歴史家がいうたに「イギリス人の書いたもので、歴史的の叙事、ものを説き明した文体からいえば、カーライルの『フランス革命史』がたぶん一番といってもよいであろう、もし一番でなければ一番のなかに入るべきものである」ということであります。それでこの本を読む人はことごとく同じ感覚を持つだろうと思います。実に今より百年ばかり前のことを、われわれの目の前に活きている画のように、そうして立派な画人が書いてもあのようには書けぬというように、フランス革命の活画を示してくれたものはこの本であります。