後世への最大遺物 / 第二回・讃美歌一篇のほうがよい
チョット考えてみるとこれはただチャールス・ウェスレーを尊敬するあまりに発した言葉であって、けっしてビーチャーの心のなかから出た言葉ではないように思われますけれども、しかしながらウェスレーのこの歌をいく度か繰り返して歌ってみまして、どれだけの心情、どれだけの趣味、どれだけの希望がそのうちにあるかを見るときには、あるいはビーチャーのいったことが本当であるかも知れないと思います。ビーチャーの大事業もけっしてこの一つの讃美歌ほどの事業をなしていないかも知れませぬ。それゆえにもしわれわれに思想がありまするならば、もしわれわれがそれを直接に実行することができないならば、それを紙に写しましてこれを後世に遺しますことは大事業ではないかと思います。文学者の事業というものはそれゆえに羨むべき事業である。
書き下し
ちょっと考えてみると、これはただチャールス・ウェスレーを尊敬するあまりに発した言葉であって、けっしてビーチャーの心のなかから出た言葉ではないように思われますけれども、しかしながらウェスレーのこの歌をいく度か繰り返して歌ってみまして、どれだけの心情、どれだけの趣味、どれだけの希望がそのうちにあるかを見るときには、あるいはビーチャーのいったことが本当であるかも知れないと思います。ビーチャーの大事業も、けっしてこの一つの讃美歌ほどの事業をなしていないかも知れませぬ。それゆえに、もしわれわれに思想がありまするならば、もしわれわれがそれを直接に実行することができないならば、それを紙に写しまして、これを後世に遺しますことは大事業ではないかと思います。文学者の事業というものは、それゆえに羨むべき事業である。
現代語訳
ちょっと考えると、これはチャールズ・ウェスレーを尊敬するあまり出た言葉で、決してビーチャーの本心ではないように思われます。けれどもウェスレーのこの歌を何度か繰り返し歌ってみて、どれほどの心情、どれほどの味わい、どれほどの希望がその中にあるかを見るときは、あるいはビーチャーの言ったことが本当かもしれないと思います。ビーチャーの大事業も、決してこの一篇の讃美歌ほどの働きはしていないかもしれません。ですから、もし私たちに思想があるなら、もしそれを直接実行できないなら、それを紙に写して後世に遺すことは大事業ではないかと思います。文学者の事業とは、だから羨むべき事業なのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』節葬下是の故に子墨子曰く、郷に吾が本と言えらく、意うに亦た其の言をして、其の謀を用いて、厚葬久喪を計るに、誠に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からんか。則ち仁なり、義なり、孝子の事なり。人の為に謀る者は、勸めざる可からざるなり。意うに亦た其の言に法り、其の謀を用いて、人の若きの厚葬久喪、實に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からざらんか。則ち仁に非ざるなり、義に非ざるなり、孝子の事に非ざるなり。人の為に謀る者は、沮まざる可からざるなり。是の故に以て國家を富まさんことを求むるも、甚だ貧を得たり。以て人民を衆くせんと欲するも、甚だ寡を得たり。以て刑政を治めんと欲するも、甚だ亂を得たり。以て大國の小國を攻むるを禁止せんことを求むるも、既已に不可なり。以て上帝鬼神の福を千めんと欲するも、又た禍を得たり。上、之を堯舜禹湯文武の道に稽うるに、政、之に逆らう。下、之を桀紂幽厲の事に稽うるに、猶お節を合わするがごとし。若し此を以て觀れば、則ち厚葬久喪は、其れ聖王の道に非ざるなり。
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論語・陽貨篇子曰く、道に聴きて塗に説くは、徳を之れ棄つるなり。
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説苑・君道湯曰く、「薬食は先ず卑に嘗めしめ、然る後に貴に至る。薬言は先ず貴に献じ、然る後に卑に聞こゆ」と。故に薬卑に嘗めしめ、然る後に貴に至るは、教えなり。薬言貴に献じ、然る後に卑に聞こゆるは、道なり。故に人をして食を味わしめて然る後に食する者は、其の味を得ること多し。人をして言を味わしめて然る後に言を聞く者は、其の言を得ること少なし。是を以て明王の言は、必ず自ら他に之を聴かしめ、必ず自ら他に之を聞かしめ、必ず自ら他に之を択ばしめ、必ず自ら他に之を取らしめ、必ず自ら他に之を聚めしめ、必ず自ら他に之を蔵せしめ、必ず自ら他に之を行わしむ。故に道は数ば之を取るを以て明と為し、数ば之を行うを以て章と為し、数ば之を万物に施すを以て蔵と為す。是の故に道を求むる者は目を以てせずして心を以てし、道を取る者は手を以てせずして耳を以てす。
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荀子・大略篇語に曰く、「流丸(りゅうがん)は甌臾(おうゆ)に止まり、流言は知者に止まる」と。此れ家言(かげん)邪説の儒者を悪(にく)む所以(ゆゑん)なり。是非疑はしければ、則ち之を度(はか)るに遠き事を以てし、之を験(ため)すに近き物を以てし、之に参(まじ)ふるに平らかなる心を以てす。流言焉(ここ)に止まり、悪言焉に死す。
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論語・衛霊公篇子曰く、衆之を悪むも、必ず察す。衆之を好むも、必ず察す。
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論語・衛霊公篇子曰く、吾の人に於けるや、誰をか毀り誰をか誉めん。如し誉むる所有らば、其れ試みる所有らん。斯の民や、三代の直道にして行いし所以なり。