後世への最大遺物 / 第二回・身体も弱く位地も低かったが
それがためにヨーロッパ中が動きだして、この十九世紀の始めにおいてもジョン・ロックの著書でヨーロッパが動いた。それから合衆国が生まれた。それからフランスの共和国が生まれてきた。それからハンガリアの改革があった。それからイタリアの独立があった。実にジョン・ロックがヨーロッパの改革に及ぼした影響は非常であります。その結果を日本でお互いが感じている。われわれの願いは何であるか、個人の権力を増そうというのではないか。われわれはこのことをどこまで実行することができるか、それはまだ問題でございますけれども、何しろこれがわれわれの願いであります。もちろんジョン・ロック以前にもそういう思想を持った人はあった。しかしながらジョン・ロックはその思想を形に顕わして“Human Understanding”という本を書いて死んでしまった。しかし彼の思想は今日われわれのなかに働いている。ジョン・ロックは身体も弱いし、社会の位地もごく低くあったけれども、彼は実に今日のヨーロッパを支配する人となったと思います。
書き下し
それがためにヨーロッパ中が動きだして、この十九世紀の始めにおいても、ジョン・ロックの著書でヨーロッパが動いた。それから合衆国が生まれた。それからフランスの共和国が生まれてきた。それからハンガリアの改革があった。それからイタリアの独立があった。実にジョン・ロックがヨーロッパの改革に及ぼした影響は非常であります。その結果を日本でお互いが感じている。われわれの願いは何であるか、個人の権力を増そうというのではないか。われわれはこのことをどこまで実行することができるか、それはまだ問題でございますけれども、何しろこれがわれわれの願いであります。もちろんジョン・ロック以前にも、そういう思想を持った人はあった。しかしながらジョン・ロックはその思想を形に顕わして、『人間知性論』という本を書いて死んでしまった。しかし彼の思想は今日われわれのなかに働いている。ジョン・ロックは身体も弱いし、社会の位地もごく低くあったけれども、彼は実に今日のヨーロッパを支配する人となったと思います。
現代語訳
そのためにヨーロッパ中が動き出し、十九世紀の初めにも、ジョン・ロックの著書でヨーロッパが動きました。そこから合衆国が生まれた。フランスの共和国が生まれた。ハンガリーの改革があった。イタリアの独立があった。まことにジョン・ロックがヨーロッパの改革に及ぼした影響は絶大です。その結果を日本で私たちが感じている。私たちの願いは何か。個人の力を増そうということではないか。それをどこまで実行できるかはまだ問題ですが、ともかくこれが私たちの願いです。もちろんジョン・ロック以前にも、そういう思想を持った人はいました。しかしジョン・ロックはその思想を形にして、一冊の本を書いて死んでしまった。しかし彼の思想は今日私たちの中で働いている。ジョン・ロックは身体も弱く、社会的地位もごく低かったけれども、彼は実に今日のヨーロッパを支配する人になったと思います。
解説
この章句が説くこと
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「古の賢王は善を好みて勢いを忘る。古の賢士、何ぞ獨り然らざらん。其の道を樂しみて、人の勢いを忘る。故に王公も敬を致し禮を盡くさずんば、則ち亟々之を見るを得ず。見ることすら且つ猶ほ亟々するを得ず、而るを況んや得て之を臣とするをや。」
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『後世への最大遺物』第二回・天才も位地もないときは昨晩は後世へわれわれが遺して逝くべきものについて、まず第一に金のことの話をいたし、その次に事業のお話をいたしました。ところで金を溜める天才もなし、またそれを使う天才もなし、かつまた事業の天才もなし、また事業をなすための社会の位地もないときには、われわれがこの世において何をいたしたらよろしかろうか。事業をなすにはわれわれに神から受けた特別の天才が要るばかりでなく、また社会上の位地が要る。われわれはあるときは、かの人は天才があるのに何故なんにもしないでいるかといって人を責めますけれども、それはたびたび起る酷な責め方だと思います。人は位地を得ますと、ずいぶんつまらない者でも大事業をいたすものであります。
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『正法眼蔵随聞記』巻三一日示して云く、宋土の海門禅師、天童の長老たりし時、会下に元首座と云僧ありき、この人は得法悟道の人にて、行持長老にも超たり、有時夜る方丈に参じて、焼香礼拝して云く、請すらくは某甲に後堂首座を許せと、時に禅師流涕して云く、我れ小僧たりし時より、未た此の如きの事を聞かず、汝坐禅僧として首座長老を所望すること大ひなる錯なり、なんぢ既に悟道せること我れにも越いたり、然あるに首座を望むこと是れ昇進の為か、許すことは前堂をも乃至長老をも許すべし、その心操卑劣なり、誠に是を以て余の未悟の僧は推察せられたり、仏法の衰微せること是を以て知ぬべしと云ふて、流涕悲泣す、
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孫子・形篇故に戦いを善くする者は、不敗の地に立ち、敵の敗を失わず。
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『韓非子』難勢第四十堯も匹夫為らば、三人を治むること能わじ、而して桀天子為れば、能く天下を亂る。吾此を以て勢位の恃むに足り、而して賢智の慕うに足らざるを知るなり。
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牧民忠告・閑居進みては則ち安居して以て其の志を行い、退きては則ち安居して以て其の未だ能わざる所を修む。則ち是れ進むも亦た為す有り、退くも亦た為す有るなり。近世の士大夫は、惟だ進むに狃(な)れ、退けば則ち昏然(こんぜん)として猷為(ゆうい)する所無く、甚だしきは愧(は)じを茹(くら)い慚(はじ)を懐(いだ)き、蹙縮(しゅくしゅく)して敢えて一たびも戸を出でず。夫れ軒冤(けんえん)は、古人以て儻來(とうらい)の物と為すなり。其の有るも何の加うる所ぞ、其の無きも何の損する所ぞ。良貴(りょうき)の我に在るを思わず、惟だ物に仮(か)りて以て重軽と為さば、則ち其の人品の卑下なること、論ぜざれども知るべし。