後世への最大遺物 / 第二回・ジョン・ロックの一冊
イタリアなり、イギリスなり、フランスなり、ドイツなり、みな国家的精神を養わなければならぬとて、社会はあげて国家という団体に思想を傾けておった時でございました。その時に当ってどのような権力のある人であろうとも、彼の信ずるところの、個人は国家より大切であるという考えを世の中にいくら発表しても、実行のできないことはわかりきっておった。そこでこの学者は私かに裏店に引っ込んで本を書いた。この人は、ご存じでありましょう、ジョン・ロックであります。その本は、“Human Understanding”であります。しかるにこの本がフランスに往きまして、ルソーが読んだ、モンテスキューが読んだ、ミラボーが読んだ、そうしてその思想がフランス全国に行きわたって、ついに一七九〇年フランスの大革命が起ってきまして、フランスの二千八百万の国民を動かした。
書き下し
イタリアなり、イギリスなり、フランスなり、ドイツなり、みな国家的精神を養わなければならぬとて、社会はあげて国家という団体に思想を傾けておった時でございました。その時に当って、どのような権力のある人であろうとも、彼の信ずるところの、個人は国家より大切であるという考えを世の中にいくら発表しても、実行のできないことはわかりきっておった。そこでこの学者は私かに裏店に引っ込んで本を書いた。この人は、ご存じでありましょう、ジョン・ロックであります。その本は『人間知性論』であります。しかるにこの本がフランスに往きまして、ルソーが読んだ、モンテスキューが読んだ、ミラボーが読んだ、そうしてその思想がフランス全国に行きわたって、ついに一七九〇年フランスの大革命が起ってきまして、フランスの二千八百万の国民を動かした。
現代語訳
イタリアも、イギリスも、フランスも、ドイツも、みな国家的精神を養わねばならないとして、社会をあげて国家という団体に思想を傾けていた時代でした。そのとき、どれほど権力のある人であっても、個人は国家より大切だという自分の信じる考えをいくら世に発表しても、実行できないのは分かりきっていました。そこでこの学者は、ひそかに裏長屋に引っ込んで本を書きました。この人はご存じでしょう、ジョン・ロックです。その本が『人間知性論』です。ところがこの本がフランスへ渡り、ルソーが読み、モンテスキューが読み、ミラボーが読んで、その思想がフランス全土に行きわたり、ついに一七九〇年にフランス革命が起こって、フランスの二千八百万の国民を動かしました。
解説
この章句が説くこと
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『後世への最大遺物』第二回・身体も弱く位地も低かったがそれがためにヨーロッパ中が動きだして、この十九世紀の始めにおいても、ジョン・ロックの著書でヨーロッパが動いた。それから合衆国が生まれた。それからフランスの共和国が生まれてきた。それからハンガリアの改革があった。それからイタリアの独立があった。実にジョン・ロックがヨーロッパの改革に及ぼした影響は非常であります。その結果を日本でお互いが感じている。われわれの願いは何であるか、個人の権力を増そうというのではないか。われわれはこのことをどこまで実行することができるか、それはまだ問題でございますけれども、何しろこれがわれわれの願いであります。もちろんジョン・ロック以前にも、そういう思想を持った人はあった。しかしながらジョン・ロックはその思想を形に顕わして、『人間知性論』という本を書いて死んでしまった。しかし彼の思想は今日われわれのなかに働いている。ジョン・ロックは身体も弱いし、社会の位地もごく低くあったけれども、彼は実に今日のヨーロッパを支配する人となったと思います。
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『後世への最大遺物』第二回・裏店に住んだ病身の学者イギリスに今からして二百年前に、痩せっこけて丈の低い、しじゅう病身な一人の学者がおった。それでこの人は世の中の人に知られないで、何も用のない者と思われて、しじゅう貧乏して裏店のようなところに住まって、かの人は何をするかと人にいわれるくらい世の中に知れない人で、何もできないような人であったが、しかし彼は一つの大思想を持っていた人でありました。その思想というは、人間というものは非常な価値のあるものである、また一個人というものは国家よりも大切なものである、という大思想を持っていた人であります。それで十七世紀の中ごろにおいては、その説は社会にまったく容れられなかった。その時分にはヨーロッパでは主義は国家主義と定まっておった。
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『後世への最大遺物』第二回・カーライルの『フランス革命史』先日カーライルの伝を読んで感じました。ご承知の通り、カーライルが書いたもののなかで一番有名なものはフランス革命の歴史でございます。それである歴史家がいうたに「イギリス人の書いたもので、歴史的の叙事、ものを説き明した文体からいえば、カーライルの『フランス革命史』がたぶん一番といってもよいであろう、もし一番でなければ一番のなかに入るべきものである」ということであります。それでこの本を読む人はことごとく同じ感覚を持つだろうと思います。実に今より百年ばかり前のことを、われわれの目の前に活きている画のように、そうして立派な画人が書いてもあのようには書けぬというように、フランス革命の活画を示してくれたものはこの本であります。
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『後世への最大遺物』第二回・生涯の血を絞って書いた本それでわれわれはその本に非常の価値を置きます。カーライルがわれわれに遺してくれたこの本は、実にわれわれの貴ぶところでございます。しかしながら、フランスの革命を書いたカーライルの生涯の実験を見ますと、この本よりかまだ立派なものがあります。その話は長いけれども、ここにあなたがたに話すことを許していただきたい。カーライルがこの書を著わすのは、彼にとってはほとんど一生涯の仕事であった。ちょっと『革命史』を見まするならば、このくらいの本は誰にでも書けるだろうと思うほどの本であります。けれども歴史的の研究を凝らし、広く材料を集めて成った本でありまして、実にカーライルが生涯の血を絞って書いた本であります。それで何十年ですか忘れましたが、何十年かかかって、ようやく自分の望みのとおりの本が書けた。
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『後世への最大遺物』第二回・漁夫の書いた小さい本が世界を改めたわれわれのよく知っているとおり、二千年ほど前にユダヤのごくつまらない漁夫や、あるいはまことに世の中に知られない人々が、『新約聖書』という僅かな書物を書いた。そうしてその小さい本がついに全世界を改めたということは、ここにいる人にはお話しするほどのことはない、みなご存じであります。また山陽という人は勤王論を作った人であります。先生はどうしても日本を復活するには、日本をして一団体にしなければならぬ。一団体にするには日本の皇室を尊んで、それで徳川の封建政治をやめてしまって、それで今日いうところの王朝の時代にしなければならぬという大思想を持っておった。しかしながら山陽はそれを実行しようかと思ったけれども、実行することができなかった。
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『後世への最大遺物』第一回・クロムウェルが遺した国今日の英国はえらい国である、今日のアメリカの共和国はえらい国であると申しますが、それは何から始まったかと、たびたび考えてみる。それで私は尊敬する人について少しく偏するかも知れませぬが、もし偏しておったならばそのようにご裁判を願います。けれども私の考えまするには、今日のイギリスの大なるわけは、イギリスにピューリタンという党派が起ったからであると思います。アメリカに今日のような共和国の起ったわけは何であるか、イギリスにピューリタンという党派が起ったゆえである。しかしながら、この世にピューリタンが大事業を遺したといい、遺しつつあるというは何のわけであるかというと、何でもない、このなかにピューリタンの大将がいたからである。