師導古典を学びたいすべての人に

後世への最大遺物 / 第二回・折あらばわが思想を実行せよ

それで文学というものの要はまったくそこにあると思います。文学というものはわれわれの心に常に抱いているところの思想を後世に伝える道具に相違ない。それが文学の実用だと思います。それで思想の遺物というものの大なることはわれわれは誰もよく知っていることであります。思想のこの世の中に実行されたものが事業です。われわれがこの世の中で実行することができないからして、種子だけを播いて逝こう、「われは恨みを抱いて、慷慨を抱いて地下に下らんとすれども、汝らわれの後に来る人々よ、折あらばわが思想を実行せよ」と後世へ言い遺すのである。それでその遺物の大いなることは実に著しいものであります。

書き下し

それで文学というものの要は、まったくそこにあると思います。文学というものは、われわれの心に常に抱いているところの思想を後世に伝える道具に相違ない。それが文学の実用だと思います。それで思想の遺物というものの大なることは、われわれは誰もよく知っていることであります。思想のこの世の中に実行されたものが事業です。われわれがこの世の中で実行することができないからして、種子だけを播いて逝こう、「われは恨みを抱いて、慷慨を抱いて地下に下らんとすれども、汝らわれの後に来る人々よ、折あらばわが思想を実行せよ」と後世へ言い遺すのである。それでその遺物の大いなることは、実に著しいものであります。

現代語訳

文学の要は、まったくそこにあると思います。文学とは、私たちが心に常に抱いている思想を後世に伝える道具に違いない。それが文学の実用だと思います。思想という遺物が大きいことは、誰もがよく知っています。思想がこの世で実行されたものが事業です。私たちはこの世で実行できないから、種だけを播いて逝こう。私は恨みを抱き、憤りを抱いて地下に下ろうとするが、私の後に来る人々よ、折があれば私の思想を実行せよ、と後世に言い遺すのです。その遺物の大きさは、実に著しいものです。

解説

思想と事業の関係が一行で定義されます。思想がこの世で実行されたものが事業である、と。つまり両者は別のものではなく、同じものの前と後です。実行できなかった思想は失敗ではなく、まだ実行されていないだけの種になる。そして内村が置く台詞が印象的で、恨みと憤りを抱いたまま地下に下る、と自分の無念を隠しません。志を果たせないまま死ぬ人への慰めではなく、その無念ごと次へ渡せという励ましです。

この章句が説くこと

思想事業種子継承無念

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる