後世への最大遺物 / 第一回・十有三春秋、逝く者は水の如し
この夏期学校に来ますついでに私は東京に立ち寄り、そのとき私の親爺と詩の話をいたしました。親爺が山陽の古い詩を出してくれました。私が初めて山陽の詩を読みましたのは、親爺からもらったこの本でした(本を手に持って)。でこの夏期学校にくるついでに、その山陽の本を再び持ってきました。そのなかに私の幼さいときに私の心を励ました詩がございます。その詩は諸君もご承知のとおり山陽の詩の一番初めに載っている詩でございます、「十有三春秋、逝者已如水、天地無始終、人生有生死、安得類古人、千載列青史」。有名の詩でございます、山陽が十三のときに作った詩でございます。それで自分の生涯を顧みてみますれば、まだ外国語学校に通学しておりまする時分にこの詩を読みまして、私も自から同感に堪えなかった。
書き下し
この夏期学校に来ますついでに、私は東京に立ち寄り、そのとき私の親爺と詩の話をいたしました。親爺が山陽の古い詩を出してくれました。私が初めて山陽の詩を読みましたのは、親爺からもらったこの本でした。でこの夏期学校に来るついでに、その山陽の本を再び持ってきました。そのなかに私の幼さいときに私の心を励ました詩がございます。その詩は諸君もご承知のとおり、山陽の詩の一番初めに載っている詩でございます。「十有三春秋、逝く者はすでに水の如し、天地に始終無く、人生に生死有り、いずくんぞ古人に類するを得て、千載青史に列するを得ん」。有名の詩でございます。山陽が十三のときに作った詩でございます。それで自分の生涯を顧みてみますれば、まだ外国語学校に通学しておりまする時分に、この詩を読みまして、私もみずから同感に堪えなかった。
現代語訳
この夏期学校に来るついでに東京へ立ち寄り、そのとき父と詩の話をしました。父が頼山陽の古い詩集を出してくれました。私が初めて山陽の詩を読んだのは、父からもらったこの本でした。それでこの夏期学校に来るついでに、その山陽の本を再び持ってきました。その中に、私が幼いころ心を励まされた詩があります。皆さんもご存じの、山陽の詩集の一番初めに載っている詩です。十三年の歳月が過ぎ、去っていく時はすでに水のようだ。天地には始まりも終わりもなく、人の一生には生と死がある。どうすれば昔の人に並び、千年の歴史に名を連ねられるだろうか。有名な詩です。山陽が十三のときに作った詩です。自分の生涯を振り返れば、まだ外国語学校に通っていたころにこの詩を読み、私も同感せずにいられませんでした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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説苑・修文春秋に曰く、「壬申、公高寢に薨ず。」傳に曰く、「高寢とは何ぞ?正寢なり。曷為れぞ或いは高寢と言い、或いは路寢と言うか?曰く、諸侯の正寢三つ、一に曰く高寢、二に曰く左路寢、三に曰く右路寢。高寢とは、始めて封ぜられし君の寢なり。二つの路寢とは、體を繼ぐ君の寢なり。其の二つなるは何ぞ?曰く、子父の寢に居らず、故に二寢あり。體を繼ぐ君は世世高祖の寢に居るべからず、故に高寢有り、名づけて高と曰う。路寢其の立つこと奈何?高寢中に立ち、路寢左右す。」と。春秋に曰く、「天王成周に入る。」傳に曰く、「成周とは何ぞ?東周なり。然らば則ち天子の寢奈何?曰く、亦二つの承明あり、體を繼ぎ文を守る君の寢、左右の路寢と曰う。之を承明と謂うは何ぞ?曰く、明堂の後に承くる者なり。故に天子諸侯三寢立ちて名實正しく、父子の義章らかに、尊卑の事別れ、大小の德異なるなり。」
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『武士道』第十六章 武士道の命脈・七百年に蓄積したる動量其メーソニック・サイン明亮なることは、個々の間、暗号を有せずしてなお能く直ちに感通するを得るに足るものあり、となす。武士道の我国民、特に士林に印象したる性格は、之を以て種属の具有する不変の要素を形成するものなりと称するを得ずと雖、なお之れが活力を保有せることは、復た疑を容れず。武士道もしただ物理力に過ぎずとすとも、なお既往七百年の間に蓄積したる動量は、俄然停止するを得べきに非ず。武士道はただ遺伝によりてのみ継承したりとすとも、其感化の範囲はすこぶる広大ならずんばあらず。試みに思へ、仏国経済学者ケソン氏が、仮に一世紀を人間三代と定めて打算せば、『吾人は各自其血管中に、紀元一千年に生存したる、少くも二千万人の血液を伝ふるものなり』と云へるを。
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説苑・建本晋の襄公薨じ、嗣君少く、趙宣子相たり。大夫に謂いて曰わく、「少君を立つれば、多難ならんことを懼る。請う雍を立てん。雍長じ、出でて秦に在り、秦大にして、以て援と為すに足る」と。賈季曰わく、「公子楽に若かず。楽国に寵有り、先君愛して之を翟に仕えしむ、翟是を以て援と為す」と。穆嬴太子を抱きて庭に呼びて曰わく、「先君奚の罪ありや、其の嗣も亦奚の罪ありや。嫡嗣を捨てて立てずして外に君子を求む」と。朝を出でて抱きて宣子に見えて曰わく、「難きを悪みて、故に長君を立てんと欲するも、長君立ちて少君壮なれば、難乃ち至らん」と。宣子之を患い、遂に太子を立つ。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「堯舜由り湯に至るまで、五百有餘歲。禹・皋陶の若きは、則ち見て之を知る。湯の若きは、則ち聞きて之を知る。湯由り文王に至るまで、五百有餘歲。伊尹・萊朱の若きは、則ち見て之を知る。文王の若きは、則ち聞きて之を知る。文王由り孔子に至るまで、五百有餘歲。太公望・散宜生の若きは、則ち見て之を知る。孔子の若きは、則ち聞きて之を知る。孔子由り而來今に至るまで、百有餘歲。聖人の世を去ること、此の若く其れ未だ遠からざるなり。聖人の居に近きこと、此の若く其れ甚しきなり。然り而して有ること無しとせば、則ち亦た有ること無からん。」
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『墨子』耕柱公孟子曰く、「君子は作らず、術ぶるのみ」と。子墨子曰く、「然らず。人の其れ君子ならざる者は、古の善き者は誅がず、今や善き者は作らず。其の次に君子ならざる者は、古の善き者は遂げず、已に善有れば則ち之を作り、善の己より出でんことを欲す。今、誅ぎて作らざるは、是れ遂ぐるを好まずして作る者に異なる所無きなり。吾れ以為えらく、古の善き者は則ち之を誅ぎ、今の善き者は則ち之を作り、善の益ます多からんことを欲すと」と。
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論語・里仁篇子曰く、三年父の道を改むること無きは、孝と謂う可し。