孝経 / 事君章第十七
子曰:「君子之事上也、進思盡忠、退思補過、將順其美、匡救其惡、故上下能相親也。《詩》云:『心乎愛矣!遐不謂矣!中心藏之、何日忘之。』」
新字:子曰:「君子之事上也、進思尽忠、退思補過、将順其美、匡救其悪、故上下能相親也。《詩》云:『心乎愛矣!遐不謂矣!中心蔵之、何日忘之。』」
書き下し
子曰く、「君子の上に事うるや、進みては忠を尽くさんことを思い、退きては過ちを補わんことを思う。その美に将順し、その悪を匡救す。故に上下よく相い親しむなり。詩に云う、『心に愛すればなり、遐かにして謂げざらんや。中心にこれを蔵む、何れの日にかこれを忘れん』と」。
現代語訳
孔子が言った。「君子が上に仕えるときは、進み出ては忠を尽くすことを思い、退いては上の過ちを補うことを思う。上の善いところは助けて伸ばし、悪いところは正して救う。だから上下は互いに親しみ合えるのである。『詩経』にこうある——心から愛しているのだ、遠く離れていても告げずにいられようか。心の中に蔵して、どの日に忘れることがあろう」。
解説
仕える者の仕事を二つに分けた章である。進んで忠を尽くすこと、退いて過ちを補うこと。前に出るときと、引くときの両方に役目がある、という構えだ。続く「その美に将順し、その悪を匡救す」がその中身になる。上の善いところは黙って従うのではなく助けて伸ばす、悪いところは正して救う。放任でも追従でもない。前章の諫諍が正面から争うことを説くのに対して、この章は日常の支え方を説いている。そして「故に上下よく相い親しむ」。補い、正すことこそが、上下の親しみを作るのだという結論になっている。
この章句が説くこと
進みては忠を尽くし退きては過ちを補う将順匡救事君上下相親しむ
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