孝経 / 廣至德章第十三
子曰:「君子之教以孝也、非家至而日見之也。教以孝、所以敬天下之為人父者也、教以悌、所以敬天下之為人兄者也、教以臣、所以敬天下之為人君者也。《詩》云:『愷悌君子、民之父母。』非至德、其孰能順民、如此其大者乎?」
新字:子曰:「君子之教以孝也、非家至而日見之也。教以孝、所以敬天下之為人父者也、教以悌、所以敬天下之為人兄者也、教以臣、所以敬天下之為人君者也。《詩》云:『愷悌君子、民之父母。』非至徳、其孰能順民、如此其大者乎?」
書き下し
子曰く、「君子の教うるに孝を以てするや、家ごとに至りて日々にこれを見るに非ざるなり。教うるに孝を以てするは、天下の人の父たる者を敬する所以なり。教うるに悌を以てするは、天下の人の兄たる者を敬する所以なり。教うるに臣を以てするは、天下の人の君たる者を敬する所以なり。詩に云う、『愷悌の君子は、民の父母』と。至徳に非ずんば、それ孰かよく民を順わしむること、かくの如くその大なる者あらんや」。
現代語訳
孔子が言った。「君子が孝によって教えるというのは、家々を訪ねて日々顔を見せるということではない。孝を教えるのは、天下じゅうの父である人を敬うためである。悌を教えるのは、天下じゅうの兄である人を敬うためである。臣たることを教えるのは、天下じゅうの君である人を敬うためである。『詩経』にこうある——やわらぎ慎み深い君子は、民の父母である。この上ない徳でなければ、誰がこれほど大きく民を従わせることができようか」。
解説
教えるとは、一軒ずつ回って直接指導することではない、という一句から始まる。孝を教えるということは、天下のすべての父を敬うということだ。個々人に働きかけるのではなく、父という立場そのものへの敬意を示すことで、すべての家に同時に届く。制度や規範を通じた影響の与え方を説明した章である。組織で言えば、上に立つ者が一人ひとりに直接教えることはできない。だが、ある役割を大切に扱う姿勢を示せば、その役割にある全員に届く。現場を尊ぶ姿勢を見せれば、現場の全員に届くのと同じことである。
この章句が説くこと
至徳家ごとに至るに非ず天下の父たる者を敬す愷悌の君子は民の父母率先垂範孝
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