孝経 / 庶人章第六
用天之道、分地之利、謹身節用、以養父母、此庶人之孝也。故自天子至於庶人、孝無終始而患不及者、未之有也。
書き下し
天の道を用い、地の利を分かち、身を謹み用を節して、以て父母を養う。これ庶人の孝なり。故に天子より庶人に至るまで、孝に終始無くして患いの及ばざる者は、未だこれ有らざるなり。
現代語訳
天の巡りに従い、土地の利を活かし、身を慎み費えを節約して、それによって父母を養う。これが庶人の孝である。だから天子から庶人に至るまで、孝に始めも終わりもなく、それでいて災いが及ばない者など、これまで一人もいなかった。
解説
最も下の身分の孝が、最も具体的である。天の巡り、つまり季節に従って働き、土地の条件を活かし、身を慎んで無駄を省く。そうして父母を養う。特別なことは一つもなく、日々の労働と倹約がそのまま孝になる。そして章の最後で、天子から庶人までを一本につなぐ。孝には始めも終わりもない、つまり誰にも終わりがなく、どの身分でも免除されない。孝経がここまで身分ごとに五つの形を説いてきたのは、それぞれ内容は違っても誰も外れないことを言うためだった。原則を身分ごとに翻訳して見せ、最後に例外なしと締める。制度を説く文章の型として、よくできている。
この章句が説くこと
庶人の孝天の道を用い地の利を分かつ謹身節用孝に終始無し孝忠
関連する章句
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葉隠・聞書第一忠臣は孝子の門に尋ねよとあり。随分(ずいぶん)心を尽くして孝行すべき事なり。奉公に精を出す人は自然にはあれども、孝行に精出す人は稀なり。よき者には他人も懇(ねんご)ろに、亡き後にて残り多く、孝行に精出す人は稀なり。無理なる人、無理なる親にてなくば知れまじきなり。
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論語・学而篇子夏曰く、「賢を賢として色に易え、父母に事えて能く其の力を竭くし、君に事えて能く其の身を致し、朋友と交わるに言いて信有らば、未だ学ばずと曰うと雖も、吾は必ず之を学びたりと謂わん。」
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呂氏春秋・孝行①凡そ天下を為め、國家を治むるには、必ず本を務めて末を後にす。所謂本とは、耕耘種殖の謂に非ず、其の人を務むるなり。其の人を務むとは、貧にして之を富まし、寡にして之を衆くするに非ず。其の本を務むるなり。本を務むるは孝より貴きは莫し。人主孝なれば、則ち名章榮に、下服聽し、天下譽しむ。人臣孝なれば、則ち君に事えて忠、官に處りて廉、難に臨みて死す。士民孝なれば、則ち耕芸疾く、守戰固く、罷北せず。夫れ孝は、三皇五帝の本務にして、萬事の紀なり。
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呂氏春秋・孝行③曾子曰く、「身は、父母の遺體なり。父母の遺體を行う、敢て敬せざらんや。居處莊ならざるは、孝に非ざるなり。君に事えて忠ならざるは、孝に非ざるなり。官に蒞みて敬ならざるは、孝に非ざるなり。朋友に篤からざるは、孝に非ざるなり。戰陳に勇無きは、孝に非ざるなり。五行遂げざれば、災い親に及ぶ。敢て敬せざらんや。」
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『臣軌』序然れば則ち君親すでに立ちて、忠孝焉に形わる。国に奉じ家に奉ずる、率由の道は寧んぞ二ならん、君に事え父に事うる、資敬の途はこれ一なり。臣主の義、それ至れるかな。休戚はこれ均し、深く鑒みざるべけんや。
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『孝経』開宗明義章第一仲尼居り、曾子侍る。子曰く、「先王に至徳要道有り、以て天下を順え、民用て和睦し、上下怨み無し。汝これを知るか」と。曾子席を避けて曰く、「参不敏なり、何ぞ以てこれを知るに足らんや」と。子曰く、「それ孝は徳の本なり、教えの由りて生ずる所なり。坐に復れ、吾汝に語らん。身体髪膚、これを父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以て父母を顕すは孝の終わりなり。それ孝は親に事うるに始まり、君に事うるに中し、身を立つるに終わる。大雅に云う、『爾の祖を念う無からんや、聿にその徳を修む』と」。