古事記 / 中巻・日子坐王の子孫二
次伊理泥王。三柱。(此二王名以音)凡日子坐王之子。幷十一王。故兄大俣王之子。曙立王。次菟上王。二柱。此曙立王者。(伊勢之品遲部君。伊勢之佐那造之祖。)菟上王者。(比賣陀君之祖。)次小俣王者。(當麻勺君之祖。)次志夫美宿禰王者。(佐佐君等之祖也。)次沙本毘古王者。(日下部連。甲斐國造之祖。)次袁邪本王者。(葛野別。近淡海蚊野別之祖也。)次室毘古王者。若狹之耳(三方郡)別之祖。
新字:次伊理泥王。三柱。(此二王名以音)凡日子坐王之子。幷十一王。故兄大俣王之子。曙立王。次菟上王。二柱。此曙立王者。(伊勢之品遅部君。伊勢之佐那造之祖。)菟上王者。(比売陀君之祖。)次小俣王者。(当麻勺君之祖。)次志夫美宿祢王者。(佐佐君等之祖也。)次沙本毘古王者。(日下部連。甲斐国造之祖。)次袁邪本王者。(葛野別。近淡海蚊野別之祖也。)次室毘古王者。若狭之耳(三方郡)別之祖。
書き下し
次に伊理泥王、三柱。(この二王の名は音を以ゐよ)おほよそ日子坐王の子、併せて十一王。かれ兄大俣王の子、曙立王、次に菟上王、二柱。この曙立王は、(伊勢の品遅部君、伊勢の佐那造の祖なり。)菟上王は、(比売陀君の祖なり。)次に小俣王は、(当麻勺君の祖なり。)次に志夫美宿禰王は、(佐佐君らの祖なり。)次に沙本毘古王は、(日下部連、甲斐国造の祖なり。)次に袁邪本王は、(葛野別、近淡海の蚊野別の祖なり。)次に室毘古王は、若狭の耳(三方郡)別の祖なり。
現代語訳
次に伊理泥王を生み、この母の子は三柱です。この二王の名は音で書かれています。日子坐王の子は合わせて十一王です。兄の大俣王の子は、曙立王、次に菟上王の二柱です。この曙立王は伊勢の品遅部君と伊勢の佐那造の祖先です。菟上王は比売陀君の祖先です。次に小俣王は当麻勺君の祖先です。次に志夫美宿禰王は佐佐君らの祖先です。次に沙本毘古王は日下部連と甲斐国造の祖先です。次に袁邪本王は葛野別と近淡海の蚊野別の祖先です。次に室毘古王は若狭の耳別の祖先です。
解説
この章句が説くこと
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