古語拾遺 / 秦酒公
至於長谷朝倉朝。秦氏分散寄隸他族。秦酒公進仕蒙寵。詔聚秦氏賜於酒公。仍率領百八十種勝部。蠶織貢調。充積庭中。
書き下し
長谷朝倉朝に至りて、秦氏分散して他族に寄せ隷す。秦酒公進み仕えて寵を蒙る。詔して秦氏を聚めて酒公に賜う。仍りて百八十種の勝部を率い領いて、蚕織して調を貢り、庭中に充積す。
現代語訳
雄略天皇(長谷朝倉朝)の御代になって、秦氏は分散して他の氏族に隷属していた。秦酒公(はたのさけのきみ)が進み出て仕え、寵愛を受けた。天皇は詔して秦氏の民を集め、酒公に賜った。そこで酒公は百八十種の勝部(すぐりべ、秦氏配下の民)を率い治め、養蚕と機織りをして調を貢ぎ、その品は朝廷の庭に満ちあふれた。
解説
雄略天皇の代、渡来系の秦氏が再び一つにまとめられる話である。秦氏の民は散らばって他の氏族に隷属していたが、秦酒公が仕えて寵愛を受け、詔によって集められて酒公に与えられた。酒公は多くの勝部を率いて養蚕と機織りに励み、貢いだ絹が朝廷の庭に積み上がった。日本書紀の雄略天皇の条にも同じ話があり、積み上げたことから「うずまさ」の姓を賜ったとされる。この後、貢納が年々あふれ、大蔵が建てられて三蔵がそろう。散らばっていた人々を本来の長のもとに戻したことで、生産が一気に増えた記録として読める。人材はいても、所属がばらばらでは力にならない。まとめて任せるべき者に任せたとき、成果が目に見える形で積み上がる。
関連する章句
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『古語拾遺』三蔵を検校す因りて姓を宇豆麻佐と賜う。此れより後、諸国の貢調、年々盈溢す。更に大蔵を立て、蘇我麻智宿禰をして三蔵を検校せしむ。秦氏、其の物を出納し、東西の文氏、其の簿を勘録す。是を以て漢氏、姓を賜い、内蔵・大蔵と為す。秦・漢二氏をして内蔵・大蔵の主鎰と為さしむ。蔵部の縁なり。
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『古語拾遺』内附の民軽島豊明朝に至りて、百済王、博士王仁を貢ず。是れ河内文首の始祖なり。秦公の祖弓月、百廿県の民を率いて帰化す。漢直の祖阿知使主、十七県の民を率いて来朝す。秦・漢・百済内附の民、各々万を以て計う。褒賞するに足る。皆な其の祠有るも、未だ幣の例に預からざるなり。
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『古語拾遺』後磐余稚桜朝後の磐余稚桜朝に至りて。
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史記 秦本紀秦の先は、帝顓頊の苗裔なり。孫を女修と曰ふ。女修織るに、玄鳥卵を隕とし、女修之を呑み、子大業を生む。大業少典の子を取る、女華と曰ふ。女華大費を生む。禹と水土を平らぐ。已に成り、帝玄圭を錫ふ。禹受けて曰く、「予の能く成すに非ず、亦大費輔と為れり」と。帝舜曰く、「咨、爾費、禹の功を賛く。其れ爾に皁游を賜はん。爾の後嗣将に大いに出でんとす」と。乃ち之に姚姓の玉女を妻はす。大費拝受し、舜を佐けて鳥獣を調馴し、鳥獣多く馴服す。是を柏翳と為す。舜姓を嬴氏と賜ふ。大費子二人を生む。一を大廉と曰ふ、実に鳥俗氏なり。二を若木と曰ふ、実に費氏なり。其の玄孫を費昌と曰ふ。子孫或いは中国に在り、或いは夷狄に在り。費昌夏桀の時に当たり、夏を去りて商に帰し、湯の御と為り、以て桀を鳴条に敗る。大廉の玄孫を孟戯・中衍と曰ふ。鳥身にして人言す。帝太戊聞きて之を卜して御たらしめんとするに、吉なり。遂に致して御たらしめて之に妻はす。太戊より以下、中衍の後、遂に世功有り、以て殷国を佐く。故に嬴姓多く顕れ、遂に諸侯と為る。其の玄孫を中潏と曰ふ。西戎に在りて、西垂を保つ。蜚廉を生む。蜚廉悪来を生む。悪来は力有り、蜚廉は善く走る。父子倶に材力を以て殷の紂に事ふ。周の武王の紂を伐つや、并せて悪来を殺す。是の時蜚廉紂の為に石を北方に為り、還りて、報ずる所無し。壇を霍太山に為りて報じ、石棺を得たり。銘に曰く「帝処父をして殷の乱に与せざらしめ、爾に石棺を賜ひて以て氏を華やかにす」と。死して、遂に霍太山に葬る。蜚廉復た子有り、季勝と曰ふ。季勝孟増を生む。孟増周の成王に幸せらる、是を宅皋狼と為す。皋狼衡父を生み、衡父造父を生む。造父善く御するを以て周の繆王に幸せられ、驥・温驪・驊騮・騄耳の駟を得て、西に巡狩し、楽しみて帰るを忘る。
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『古語拾遺』当年の労のみを序して天下の万姓を改めて分かちて八等と為す。唯だ当年の労を序して、天降の績に本づかず。其の二に曰く朝臣、以て中臣氏に賜い、命ずるに大刀を以てす。其の三に曰く宿禰、以て斎部氏に賜い、命ずるに小刀を以てす。
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『古語拾遺』斎蔵此の時に当たりて、帝と神と、其の際未だ遠からず。殿を同じくし牀を共にすること、此れを以て常と為す。故に神物・官物も亦未だ分別せず。宮内に蔵を立て、号して斎蔵と曰う。斎部氏をして永く其の職に任ぜしむ。
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