近思録 / 巻10 政事
人纔有意於爲公、便是私心。昔有人典選其子弟係磨勘、皆不爲理。此乃是私心。人多言古時用直、不避嫌得。後世用此不得。自是無人、豈是無時。
新字:人纔有意於為公、便是私心。昔有人典選其子弟係磨勘、皆不為理。此乃是私心。人多言古時用直、不避嫌得。後世用此不得。自是無人、豈是無時。
書き下し
人纔かに公を為すに意有れば、便ちこれ私心なり。昔、人有り、選を典るにその子弟の磨勘に係わるは、皆な理めずと。これ乃ちこれ私心なり。人多く言う、古時は直を用いて嫌を避けざるを得たり、後世はこれを用うるを得ずと。自らこれ人無きなり、豈にこれ時無からんや。
現代語訳
人が少しでも公正であろうという意識を持った時点で、それはもう私心である。昔、人事を司る者が、自分の子弟の人事考課に関わる件はすべて処理しなかったという例がある。これこそ私心である。人はよく、昔は真っ直ぐな人を用いて嫌疑を避けなかったが、後世ではそれができないと言う。それは人がいないだけであって、どうして時代のせいであろうか。
解説
公正であろうと意識した時点で私心だ、という厳しい一条である。例が具体的で、人事担当者が自分の子弟に関わる案件をすべて避けた——一見きわめて公正だが、程頤はこれを私心と断ずる。避けたのは公正のためではなく、自分が疑われないためだからだ。身を守るための潔癖は、公ではなく私だという指摘である。そして最後の一句が痛い。昔はできたが今はできない、と言う人に対して「自らこれ人無きなり、豈にこれ時無からんや」——人がいないだけで、時代のせいではない。できない理由を時代に帰す言い訳を、正面から否定している。
この章句が説くこと
公を為すに意有れば便ち私心嫌を避く人無きなり時無きに非ず政事公平
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