近思録 / 巻9 制度
明道先生行狀云:先生爲澤州晉城令、民以事至邑者、必告之以孝悌忠信、入所以事父兄、出所以事長上。度鄉村遠近爲伍保、使之力役相助、患難相恤、而姦僞無所容。凡孤煢殘廢者、責之親戚鄉黨、使無失所。行旅出於其途者、疾病皆有所養。諸鄉皆有校。暇時親至、召父老與之語。兒童所讀書、親爲正句讀。教者不善、則爲易置。擇子弟之秀者、聚而教之。鄉民爲社會、爲立科條。旌別善惡、使有勸有耻。
新字:明道先生行状云:先生為沢州晋城令、民以事至邑者、必告之以孝悌忠信、入所以事父兄、出所以事長上。度郷村遠近為伍保、使之力役相助、患難相恤、而姦偽無所容。凡孤煢残廃者、責之親戚郷党、使無失所。行旅出於其途者、疾病皆有所養。諸郷皆有校。暇時親至、召父老与之語。児童所読書、親為正句読。教者不善、則為易置。択子弟之秀者、聚而教之。郷民為社会、為立科条。旌別善悪、使有勧有耻。
書き下し
明道先生の行状に云う、先生、沢州晋城の令と為る。民、事を以て邑に至る者には、必ずこれに告ぐるに孝悌忠信を以てし、入りては父兄に事うる所以、出でては長上に事うる所以とす。郷村の遠近を度りて伍保と為し、これをして力役相い助け、患難相い恤ましめて、姦偽の容るる所無からしむ。凡そ孤煢残廃の者は、これを親戚郷党に責め、失う所無からしむ。行旅のその途に出づる者、疾病あれば皆な養う所有り。諸郷に皆な校有り。暇時に親しく至り、父老を召してこれと語る。児童の読む所の書、親しく為に句読を正す。教うる者善からざれば、則ち為に易置す。子弟の秀でたる者を択び、聚めてこれを教う。郷民を社会と為し、為に科条を立つ。善悪を旌別し、勧むる有り恥ずる有らしむ。
現代語訳
程顥先生の行状にいう。先生は沢州晋城の県令となった。用事があって役所に来る民には、必ず孝悌忠信を説き、家に入っては父兄に仕える道、外に出ては目上に仕える道を教えた。村々の遠近を測って五戸組を作り、労役を助け合い、災難を見舞い合わせて、悪事や偽りが入り込む余地をなくした。身寄りのない者や障害のある者は、親戚と隣近所に責任を持たせ、居場所を失わせなかった。旅人がその道を通って病にかかれば、みな養う場所があった。どの郷にも学校を置いた。暇なときは自ら赴き、父老を招いて語り合った。子どもの読む書物には、自ら句読点を正した。教える者がよくなければ、取り替えた。子弟の優れた者を選び、集めて教えた。郷民に集まりを作らせ、規約を立て、善悪をはっきり区別して、励みと恥じらいが生まれるようにした。
解説
この章句が説くこと
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『近思録』巻14 観聖賢高才明智と雖も、見聞に膠し、酔生夢死して、自ら覚らざるなり。是れ皆正路の蓁蕪(しんぶ)、聖門の蔽塞なり、之を闢きて後に以て道に入るべし。」先生進みては将に斯の人を覚さんとし、退きては将に之を書に明らかにせんとす。不幸にして早世し、皆未だ及ばざるなり。其の弁析精微にして、稍〻世に見わるる者は、学者の伝うる所のみ。先生の門、学者多し。先生の言は平易にして知り易し。賢愚皆其の益を獲たり。群れて河に飲み、各〻其の量を充たすが如し。先生人を教うるに、致知よりして知止に至り、誠意よりして平天下に至り、洒掃応対よりして窮理尽性に至るまで、循循として序有り。世の学者の、近きを捨てて遠きに趨き、下に処りて高きを闚(うかが)うを病む。軽々しく自ら大にして卒に得る無き所以なり。先生物に接するに、弁じて問わず、感じて能く通ず。人を教えて人従い易く、人を怒りて人怨みず。賢愚善悪、咸(みな)其の心を得たり。狡偽の者も其の誠を献じ、暴慢の者も其の恭を致す。風を聞く者は誠服し、徳を覿(み)る者は心酔す。小人の趨向の異なるを以て、利害を顧みて、時に排斥せらると雖も、退きて其の私を省みれば、未だ先生を以て君子と為さざるもの有らず。先生の政を為すや、悪を治むるに寛を以てし、煩に処するに裕を以てす。法令繁密の際に当たりて、未だ嘗て衆に従いて文に応じ責を逃るるの事を為さず。人皆拘礙に病むも、先生之に処すること綽然たり。衆憂えて以て甚だ難しと為すも、先生之を為すこと沛然たり。倉卒に当たると雖も、声色を動かさず。監司競いて厳急を為すの時に方りても、其の先生を待するは率ね皆寛厚なり。設施の際、頼る所有り。先生の為す所の綱条法度は、人効いて為すべきなり。其の之を道(みちび)きて従い、之を動かして和し、物を求めずして物応じ、未だ信を施さずして民信ずるに至りては、則ち人の及ぶべからざるなり。明道先生曰く、周茂叔は窓前の草除き去らず。
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『近思録』巻9 制度材識明達にして善に進むべき者を取りて、日に其の業を受けしむ。其の学明らかに徳尊き者を択びて太学の師と為す。次は以て天下の学に分教せしむ。士を択びて学に入れ、県は之を州に升せ、州は太学に賓興す。太学聚めて之を教へ、歳に其の賢者能者を朝に論ず。凡そ士を選ぶの法は、皆性行端潔、居家孝悌、廉恥礼遜有り、学業に通明し、治道に暁達する者を以てす。明道先生十事を論ず。一に曰く師傅、二に曰く六官、三に曰く経界、四に曰く郷党、五に曰く貢士、六に曰く兵役、七に曰く民食、八に曰く四民、九に曰く山沢、十に曰く分数。其の言に曰く、古今と無く、治乱と無く、生民の理の窮まり有るが如きは、聖王の法に在りて改むべし。後世能く其の道を尽くせば則ち大いに治まり、或は其の偏を用ふれば則ち小康す。此れ歴代の彰灼著明の効なり。苟も或は徒らに古に泥むことを知りて之を今に施すこと能はず、姑く名に徇はんと欲して遂に其の実を廃するは、此れ則ち陋儒の見、何ぞ以て治道を論ずるに足らんや。然れども儻し今人の情は、皆已に古に異なり、先王の迹は、今に復すべからずと謂ひ、目前に便に趣き、高遠を務めざれば、則ち亦恐らくは大いに為すこと有るの論に非ずして、未だ以て当今の極弊を済ふに足らざらん。伊川先生上疏して曰く、三代の時、人君必ず師傅保の官有り。師は、之を教訓に道く。傅は、之を徳義に傅く。保は、其の身体を保つ。後世事を作すに本無し。治を求むることを知りて君を正すことを知らず、過を規すことを知りて徳を養ふことを知らず。徳義に傅くの道、固より已に疎なり。身体を保つの法、復た聞くこと無し。臣以為へらく徳義に傅くる者は、見聞の非を防ぎ、嗜好の過を節するに在り。身体を保つ者は、起居の宜しきに適ひ、畏慎の心を存するに在り。今既に保傅の官を設けざれば、則ち此の責は皆経筵に在り。
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『近思録』巻14 観聖賢伊川先生明道先生の行状を撰して曰く、先生は資稟既に異にして、充養道有り。純粋なること精金の如く、温潤なること良玉の如し。寛にして制有り、和して流れず。忠誠は金石を貫き、孝悌は神明に通ず。其の色を視れば、其の物に接するや、春陽の温の如し。其の言を聴けば、其の人に入るや、時雨の潤の如し。胸懐洞然として、徹視して間無し。其の蘊を測れば、則ち浩乎として滄溟の際無きが若し。其の徳を極むれば、美言も蓋し以て形容するに足らず。先生己を行うに、内は敬を主として、之を行うに恕を以てす。善を見ては己より出づるが若くし、欲せざるは人に施さず。広居に居りて大道を行い、言に物有りて動に常有り。先生学を為すに、十五六の時より、汝南の周茂叔の道を論ずるを聞き、遂に科挙の業を厭い、慨然として道を求むるの志有り。未だ其の要を知らず、諸家に泛濫し、老釈に出入すること幾(ほと)んど十年。返りて諸を六経に求めて後に之を得たり。庶物に明らかにして、人倫を察す。尽性至命は、必ず孝悌に本づくを知る。窮神知化は、礼楽に通ずるに由る。異端の是に似たるの非を弁じ、百代未だ明らかならざるの惑いを開く。秦漢よりして下、未だ斯の理に臻る有らざるなり。孟子没して聖学伝わらずと謂い、斯文を興起するを以て己が任と為す。其の言に曰く、「道の明らかならざるは、異端之を害すればなり。昔の害は近くして知り易く、今の害は深くして弁じ難し。昔の人を惑わすや其の迷暗に乗じ、今の人に入るや其の高明に因る。自ら之を窮神知化と謂えども、以て物を開き務めを成すに足らず。言は周遍せざる無しと為せども、実は則ち倫理に外る。深きを窮め微を極むれども、以て堯舜の道に入るべからず。天下の学は、浅陋固滞に非ずんば、則ち必ず此に入る。道の明らかならざるよりして、邪誕妖異の説競い起こり、生民の耳目を塗り、天下を汚濁に溺らす。
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『近思録』巻9 制度只一箇の尊卑上下の分有りて、然る後に従順に従ひて乱れざるなり。若し法以て之を聯属すること無くんば安んぞ可ならんや。且つ宗子の法を立つるも、亦是れ天理なり。譬へば木の必ず根より直上する一榦有り、亦必ず旁枝有るが如し。又水の、遠しと雖も必ず正源有り、亦必ず分派する処有るが如し。自然の勢なり。然れども又旁枝達して榦と為る者有り。故に曰く、「古者天子国を建て、諸侯宗を奪ふ」と云ふ。邢和叔明道先生の事を叙して云ふ、堯舜三代帝王の治、博大悠遠にして、上下天地と流れを同じくする所以の者は、先生固より已に黙して之を識る。礼楽を興造し、制度文為より、下は行帥用兵戦陣の法に至るまで、講ぜざる所無く、皆其の極に造る。外は夷狄の情状、山川道路の険易、辺鄙防戍城寨斥候控帯の要、究め知らざる靡し。其の吏事の操決、文法簿書、又皆精密詳練なり。先生の若きは通儒全才と謂ふべし。介甫「律は是れ八分の書なり」と言ふ、是れ他の見得たるなり。横渠先生曰く、兵謀師律は、聖人已むを得ずして之を用ふ。其の術は三王の方策、歴代の簡書に見ゆ。惟だ志士仁人のみ、能く其の遠き者大なる者を識り、素より求めて預め備へ、敢へて忽忘せずと為す。肉辟は今世の死刑の中に於て之を取れば、亦以て民の死を寛くするに足る。此を過ぐれば当に其の散ずることの久しきを念ふべし。呂与叔横渠先生の行状を撰して云ふ、先生慨然として三代の治に意有り。人を治むるの先務を論ずるに、未だ始めより経界を以て急と為さずんばあらず。嘗て曰く、仁政は必ず経界より始む。貧富均しからず、教養に法無し。治を言はんと欲すと雖も、皆苟のみ。世の行ひ難きを病む者は、未だ始めより亟かに富人の田を奪ふを以て辞と為さずんばあらず。然れども茲の法の行はるる、之を悦ぶ者衆し。
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『近思録』巻9 制度此の巻は治法を論ず。蓋し治本立つと雖も、治具は缺くを容れず。礼楽刑政一の未だ備はらざる有れば、未だ以て極治の功を成すに足らざるなり。濂渓先生曰く、古者聖王礼法を制し、教化を脩む。三綱正しく、九疇叙づ。百姓大いに和し、万物咸若ふ。乃ち楽を作りて以て八風の気を宣べ、以て天下の情を平らかにす。故に楽声淡にして傷らず、和にして淫せず。其の耳に入り、其の心を感ぜしめ、淡且つ和ならざる莫し。淡なれば則ち欲心平らかに、和なれば則ち躁心釈く。優柔平中は、徳の盛んなるなり。天下中に化するは、治の至りなり。是を道天地に配すと謂ふ、古の極なり。後世礼法脩まらず、政刑苛紊す。欲を縦にし度を敗り、下民困苦す。古楽は聴くに足らずと謂ひ、代ふるに新声を変ず。妖淫愁怨、欲を道き悲しみを増し、自ら止むること能はず。故に君を賊し父を棄て、生を軽んじ倫を敗り、禁ずべからざる者有り。嗚呼、楽は古は以て心を平らかにし、今は以て欲を助く。古は以て化を宣べ、今は以て怨を長ず。古礼に復らず、今楽を変ぜずして、至治を欲する者は遠し。明道先生朝に言ひて曰く、天下を治むるは、風俗を正し賢才を得るを以て本と為す。宜しく先づ近侍の賢儒及び百執事に礼命して、心を悉くして徳業充備して師表と為すに足る者を推訪せしむべし。其の次に篤志好学にして材良く行脩まる者有り。延聘敦遣して京師に萃む。朝夕相与に正学を講明せしむ。其の道は必ず人倫に本づき、物理に明らかにす。其の教は小学の洒掃応対より以往、其の孝弟忠信を脩め、礼楽に周旋す。其の誘掖激厲漸摩して之を成就する所以の道、皆節序有り。其の要は善を択び身を脩め、天下を化成するに至るに在り。郷人よりして聖人に至るべきの道なり。其の学行皆是に中る者を成徳と為す。
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『近思録』巻10 政事因りて口将に言はんとして囁嚅するを論じて云ふ、若し口を開くべき時に合へば、他の頭を要むるとも也須らく口を開くべし。須らく是れ「其の言を聴くや厲し」なるべし。須らく是れ事上に就きて蠱を学び、「民を振ひ徳を育ふ」、然して知る所有りて後、方に能く此くの如くなるべし。何ぞ必ずしも書を読みて、然る後に学と為さんや。先生一学者の忙迫なるを見る。其の故を問へば、曰く、「幾処の人事を了せんと欲す。」曰く、某人事に周旋することを欲せざるに非ず。曷ぞ嘗て賢の急迫なるに似んや。安定の門人、往往にして古を稽へ民を愛することを知る。則ち「政を為すに於て何か有らん」。門人に曰ふ者有り、吾人と居り、其の過有るを視て告げざれば、則ち心に於て安からざる所有り。之に告げて人受けざれば、則ち奈何せん。曰く、之と処りて其の過を告げざるは、忠に非ざるなり。誠意の交通をして、未だ言はざるの前に在らしむることを要す、則ち言出でて人信ず。又曰く、責善の道は、誠有余にして言不足ならしむることを要す。則ち人に於て益有りて、我に在る者は自ら辱めらるること無し。職事は巧みを以て免るべからず。「是の邦に居りては、其の大夫を非らず。」此の理最も好し。克く小物を勤むるは最も難し。大任に当らんと欲せば、須らく是れ篤実なるべし。凡そ人の為に言ふ者は、理勝てば則ち事明らかに、気忿れば則ち拂を招く。今の時に居りて、今の法令に安んぜざるは、義に非ざるなり。若し治を為すを論ぜば、為さざれば則ち已む。如し復た之を為さば、須らく今の法度の内に於て処して其の当を得べし、方に義に合ふと為す。若し須らく更改して而る後に為すべくんば、則ち何の義か之れ有らん。今の監司、多く州県と一体ならず。監司は専ら伺察せんと欲し、州県は専ら掩蔽せんと欲す。誠心を推して之と共に治むるに若かず。逮ばざる所有れば、教ふべき者は之を教へ、督すべき者は之を督す。聴かざるに至りては、其の甚だしき者一二を択びて去り、以て衆を警むるに足らしめて可なり。伊川先生曰く、人多事を悪む、或人之を憫む。世事多しと雖も、尽く是れ人事なり。人事人をして做さしめずんば、更に誰を責めて做さしめん。
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