近思録 / 巻10 政事
劉安禮云、王荊公執政、議法改令、言者攻之甚力。明道先生嘗被旨赴中堂議事。荊公方怒言者、厲色待之。先生徐曰:天下之事、非一家私議。願公平氣以聽。荊公爲之媿屈。
新字:劉安礼云、王荊公執政、議法改令、言者攻之甚力。明道先生嘗被旨赴中堂議事。荊公方怒言者、厲色待之。先生徐曰:天下之事、非一家私議。願公平気以聴。荊公為之愧屈。
書き下し
劉安礼云う、王荊公政を執り、法を議し令を改む。言う者これを攻むること甚だ力む。明道先生嘗て旨を被りて中堂に赴き事を議す。荊公方に言う者に怒り、厲色してこれを待つ。先生徐ろに曰く、天下の事は一家の私議に非ず。願わくは公、気を平らかにして以て聴かれよ、と。荊公これが為に媿屈す。
現代語訳
劉安礼が言う。王安石が政権を執り、法を議し令を改めた。反対する者がこれを激しく攻撃した。程顥先生が命を受けて政事堂へ議事に赴いたとき、王安石はちょうど反対者に怒っていて、厳しい顔つきで待ち構えていた。先生は静かに言った。天下の事は一家の私議ではありません。どうか気を平らかにしてお聴きください、と。王安石はこれに恥じ入って屈した。
解説
新法をめぐって王安石と対立していた程顥が、その本人と向き合った場面である。相手は怒りを顔に出して待ち構えている。そこで先生が言ったのはたった二句だった。天下の事は一家の私議ではない、どうか気を平らかにして聴いてほしい。政策の是非を論じる前に、これは私の議論ではないと枠を確認し、そのうえで聴く姿勢を求めた。内容ではなく場の前提を立て直したことになる。「荊公これが為に媿屈す」——恥じ入って屈した、と記録は結ぶ。怒っている相手に、怒りで返さず、正しさで押し切りもしない。議論の作法として読み継がれてきた一条である。
この章句が説くこと
天下の事は一家の私議に非ず気を平らかにして聴く王安石と程顥議論の作法
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