近思録 / 巻8 治体
天下之事、不進則退。無一定之理。濟之終不進而止矣、無常止也。衰亂至矣、蓋其道已窮極也。聖人至此奈何?曰:惟聖人爲能通其變於未窮、不使至於極也。堯舜是也。故有終而無亂。
新字:天下之事、不進則退。無一定之理。済之終不進而止矣、無常止也。衰乱至矣、蓋其道已窮極也。聖人至此奈何?曰:惟聖人為能通其変於未窮、不使至於極也。堯舜是也。故有終而無乱。
書き下し
天下の事、進まざれば則ち退く。一定の理無し。済の終わりは進まずして止まる、常には止まらざるなり。衰乱至れり、蓋しその道すでに窮極すればなり。聖人ここに至らば奈何。曰く、ただ聖人のみ能くその変を未だ窮まらざるに通じ、極に至らしめざるを為す。堯舜これなり。故に終わり有りて乱れ無し。
現代語訳
天下の事は、進まなければ退く。一定にとどまるという理はない。既済の終わりは進まずに止まるが、いつまでも止まってはいられない。衰えと乱れが来る。その道がすでに窮まり尽きたからである。聖人はここに至ればどうするか。答えて言う。ただ聖人だけが、まだ窮まらないうちにその変化に通じ、行き着くところまで至らせない。堯と舜がそれである。だから終わりはあっても乱れはない。
解説
組織の寿命を論じた一条である。前提は「進まざれば則ち退く」。安定という状態はなく、窮まれば必ず衰乱が来る。では聖人は何をするのか。窮まってから手を打つのではなく、まだ窮まらないうちに変化に通じ、行き着くところまで行かせない。「その変を未だ窮まらざるに通ず」——これが処方である。危機になってからの対応ではなく、まだ余力のあるうちに次の形へ移す。だから「終わり有りて乱れ無し」、終わりはあっても混乱はない。事業や制度の転換をいつやるかという問いに、千年前の答えがここにある。
この章句が説くこと
進まざれば則ち退く変を未だ窮まらざるに通ず終わり有りて乱れ無し治体
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文子・上禮此れ自り後、天下未だ嘗て其の性命を安んじ、其の習俗を楽しむを得ず。賢聖勃然として起こり、持するに道徳を以てし、輔くるに仁義を以てし、近き者は其の智を進め、遠き者は其の徳に懐き、天下混じて一と為り、子孫相い代わりて輔佐し、讒佞の端を黜け、未辯の説を息め、刻削の法を除き、煩苛の事を去り、流言の跡を屏け、朋党の門を塞ぎ、智能を消し、大常に循い、枝体を隳ち、聡明を黜け、大いに混冥に通じて、万物各おの其の根に復帰す。夫れ聖人は能く時を生ずるに非ず、時至りて失わざるなり、是を以て中絶するを得ず。
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