近思録 / 巻2 為学
君子之學必日新。日新者、日進也。不日進者、必日退。未有不進而不退者。惟聖人之道、無所進退。以其所造者極也。
新字:君子之学必日新。日新者、日進也。不日進者、必日退。未有不進而不退者。惟聖人之道、無所進退。以其所造者極也。
書き下し
君子の学は必ず日々に新たなり。日々に新たなる者は、日々に進むなり。日々に進まざる者は、必ず日々に退く。未だ進まずして退かざる者は有らず。ただ聖人の道のみ、進退する所無し。その造る所の者、極まればなり。
現代語訳
君子の学びは、必ず日ごとに新しい。日ごとに新しいとは、日ごとに進むということである。日ごとに進まない者は、必ず日ごとに退く。進まずにいて退かないという者は、これまで一人もいない。ただ聖人の道だけは進退がない。到達したところが究極だからである。
解説
止まっているという状態はない、という一条である。進まない者は必ず退く。学びは現状維持ができない性質のものだ、という見方だ。同じことが技術にも組織にも当てはまる。更新をやめた時点で、位置は保たれず後退が始まる。程頤はそのうえで例外を一つだけ置く。聖人の道には進退がない、到達点が究極だからだ。裏返せば、究極に達していない者はすべてこの法則の下にある、ということになる。近思録が「日新」を巻二の学びの巻に置いているのは、学問を到達点ではなく速度として捉えているからだろう。
この章句が説くこと
君子の学は必ず日新日々に進む進まざれば退く日新学び慢心
関連する章句
-
老子・第71章知りて知らずとするは上、知らずして知るとするは病なり。夫れ唯だ病を病とす、是を以て病あらず。聖人の病あらざるは、其の病を病とするを以てなり。是を以て病あらず。
-
伝習録・薛侃録先生の門に論ずるに因り、某人は涵養の上に功を用い、某人は識見の上に功を用うと。先生曰く、「専ら涵養する者は、日に其の足らざるを見る。専ら識見なる者は、日に其の余り有るを見る。日に足らざる者は、日に余り有り。日に余り有る者は、日に足らず」と。
-
荀子・宥坐篇孔子曰く、「垤(てつ)の如くにして進まば、吾之に与(くみ)せん。丘(きゅう)の如くにして止まらば、吾已(や)まん」と。今の学は曾(すなわ)ち未だ肬贅(ゆうぜい)の如くならずして、則ち具然(ぐぜん)として人の師と為らんと欲す。
-
尚書・西伯戡黎我が生、命は天に在るに非ずや。
-
徒然草・第167段一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智を取り出でて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物に誇ることなし。
-
尚書・周官寵に居りて危うきを思い、畏れざる罔く、畏れざれば畏るるに入る。