鬼谷子 / 中経
綴去者、謂綴己之繫、言使有餘思也。故接貞信者、稱其行、厲其志、言可爲可復、㑹之期喜。以他人庶、引驗以結往、明欵欵而去之。
新字:綴去者、謂綴己之繋、言使有余思也。故接貞信者、称其行、厲其志、言可為可復、会之期喜。以他人庶、引験以結往、明欵欵而去之。
書き下し
去るを綴るとは、己の繫を綴り、言いて餘思有らしむるを謂うなり。故に貞信なる者に接するには、其の行いを稱え、其の志を厲まし、言うに爲すべく復すべしとし、之に㑹う期を喜ぶ。他人を以て庶く、引き驗して以て往を結び、明らかに欵欵として之を去る。
現代語訳
去る者をつなぐとは、自分とのつながりを綴り、言葉によって余りある思いを残させることをいう。だから、まことある信のある人に接するときは、その行いを称え、その志を励まし、これからも為しうる、また相まみえうると語り、再会の時を喜ぶ。他の人のことも並べて、引き合いに出して過去を結び、はっきりと真心を込めて別れる。
解説
別れ方の技術です。「餘思有らしむる」——余りある思いを残させる。言い尽くさず、また会いたいと思わせて別れる。そのために、行いを称え、志を励まし、再会を喜び、過去を結んで別れる。取引が終わるとき、人が辞めるときの作法として、そのまま使えます。忤合篇で「退くを大儀と爲す」とあったことの、具体的な手順にあたります。去り際にすべてを言い切ってしまうと、つながりは切れます。余りを残すのは、次があるかもしれないからです。
この章句が説くこと
去るを綴る言いて余思有らしむ其の行いを称え其の志を厲ます引き際人間関係信頼
関連する章句
-
葉隠・聞書第一方々(ほうぼう)招請(しょうせい)に参られ心入(こころい)れになり、話など致され候由(そうろうよし)。この前(まえ)数年(すうねん)の内も、人の為になることばかりを楽(たの)しみ、極々(ごくごく)の奉公好(ほうこうず)きなり。それゆゑ一(ひと)かど御用(ごよう)には立たれ候。人は得意な方に老耄する者なれば、奉公老耄(ほうこうろうもう)、人の為になりても老耄はあぶなきなり。老人は他出せぬが重(おも)くして、しまりよきなり。
-
論語・顔淵篇子貢、友を問う。子曰く、「忠告して善く之を道き、不可なれば則ち止む。自ら辱めらるること毋かれ。」
-
孟子・公孫丑章句下孟子、ᆻ鼃(チ・ア)に謂いて曰く、「子の靈丘に辭して士師を請うは、似たり。其の以て言う可きが為なり。今、既に數月なり。未だ以て言う可からざるか。」 ᆻ鼃、王を諫めて用いられず。臣為ることを致して去る。齊人曰く、「ᆻ鼃の為にする所以は、則ち善し。自ら為にする所以は、則ち吾知らざるなり。」公都子、以て告ぐ。曰く、「吾、之を聞く。官守有る者は、其の職を得ざれば則ち去り、言責有る者は、其の言を得ざれば則ち去る、と。我、官守無く、我、言責無きなり。則ち吾が進退は、豈に綽綽然として餘裕有らずや。」
-
葉隠・聞書第二公事沙汰(くじざた)、又は言い募ることなどに、早く負けて見事な負けがあるものなり。相撲のように、勝ちたがりて、きたな勝ちするは、負けたるには劣るなり。多分きたな負けになるものなりと。上り屋敷の事。口達(くたつ)。
-
老子 第9章持ちて之を盈たすは、其の已るに如かず。揣(き)りてその鋭を為すは、長く保つ可からず。金玉満堂、之を能く守る者莫し。富貴して驕れば、自ら其の咎を遺す。功を成して身を退く、天の道なり。
-
孟子・公孫丑章句下孟子、齊を去り、休に居る。公孫丑、問いて曰く、「仕えて祿を受けざるは、古の道か。」曰く、「非なり。崇に於いて、吾、王に見ゆるを得たり。退いて去る志有り。變ずるを欲せず。故に受けざるなり。繼いで師命有り。以て請う可からず。齊に久しきは、我が志に非ざるなり。」