鬼谷子 / 本経陰符七術
是以德養五氣、心能得一、乃有其術。術者、心氣之道。所由舍者、神乃爲之使。九竅十二舍者、氣之門戶、心之總攝也。生受於天、謂之眞人、眞人者、與天爲一。內修練而知之、謂之聖人。聖人者、以類知之。
新字:是以徳養五気、心能得一、乃有其術。術者、心気之道。所由舎者、神乃為之使。九竅十二舎者、気之門戸、心之総摂也。生受於天、謂之真人、真人者、与天為一。内修練而知之、謂之聖人。聖人者、以類知之。
書き下し
是を以て德は五氣を養い、心能く一を得れば、乃ち其の術有り。術とは、心氣の道なり。由りて舍る所の者は、神乃ち之が使と爲る。九竅十二舍とは、氣の門戶にして、心の總攝なり。生を天に受くる、之を眞人と謂う。眞人とは、天と一と爲る。内に修練して之を知る、之を聖人と謂う。聖人とは、類を以て之を知る。
現代語訳
だから徳は五つの気を養い、心が一を得れば、そこに術が生じる。術とは心気の道である。それによって宿るところのものは、神がその使いとなる。九つの穴と十二の宿りとは、気の門戸であり、心が統べるところである。生を天から受けている者、これを真人という。真人とは天と一つになる者である。内側で修練してこれを知る者、これを聖人という。聖人とは、類によってこれを知る者である。
解説
「心能く一を得れば、乃ち其の術有り」——心が一つを得てはじめて、術が生じる。術が先ではなく、心の状態が先です。そして真人と聖人が分けられます。真人は生まれつき天と一つである者、聖人は内側で修練して知る者。つまり後者は後天的に到達できる。この区別は励みになります。生まれつきの資質でなくても、修練で届く位置がある、と明示されている。ただし「類を以て之を知る」——似たものを手がかりに知る、という迂回路を通ることになります。
この章句が説くこと
心能く一を得れば乃ち其の術有り九竅十二舎は気の門戸修養自己管理集中
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