鬼谷子 / 本経陰符七術
盛神法五龍︰盛神中有五氣、神爲之長、心爲之舍、德爲之大、養神之所歸諸道。道者、天地之始、一其紀也。物之所造、天之所生、包宏無形、化氣先天地而成、莫見其形、莫知其名、謂之神靈。故道者、神明之源、一其化端。
新字:盛神法五竜︰盛神中有五気、神為之長、心為之舎、徳為之大、養神之所帰諸道。道者、天地之始、一其紀也。物之所造、天之所生、包宏無形、化気先天地而成、莫見其形、莫知其名、謂之神霊。故道者、神明之源、一其化端。
書き下し
盛神は五龍に法る。神を盛んにするには中に五氣有り。神は之が長と爲り、心は之が舍と爲り、德は之が大と爲る。神を養うは諸を道に歸する所なり。道とは、天地の始めにして、一は其の紀なり。物の造らるる所、天の生ずる所、包宏として形無く、化氣は天地に先んじて成る。其の形を見る莫く、其の名を知る莫し。之を神靈と謂う。故に道とは、神明の源にして、一は其の化の端なり。
現代語訳
盛神は五龍にならう。精神を盛んにするには、内に五つの気がある。神がその長となり、心がその宿りとなり、徳がその大きなものとなる。神を養うとは、すべてを道に帰することである。道とは天地の始めであり、一がそのすじみちである。物が作られるところ、天が生じるところ、広く包んで形がなく、変化する気は天地に先立って成る。その形を見ることができず、その名を知ることができない。これを神霊という。だから道とは神明の源であり、一がその変化の端緒である。
解説
本経陰符七術は、ここまでの対人技術とは調子が変わり、自分の内側を整える話になります。捭闔から符言までが外に向けた術だとすれば、こちらは術を使う本人の状態をどう保つかの話です。神・心・徳の三つが並び、神が長、心が宿り、徳が大きなもの。順序が明確です。心を器として、そこに神が宿り、徳がそれを大きくする。技術書がなぜ最後に自己修養へ向かうのか。前の篇で「平素は樞機なり」と言われていたことの、具体的な中身がここに置かれています。
この章句が説くこと
盛神は五竜に法る神は之が長心は之が舎修養自己管理本質平常心
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