鬼谷子 / 謀篇
故同情而相親者、其俱成者也、同欲而相疏者、其偏害者也。同惡而相親者、其俱害者也、同惡而相疏者、偏害者也。故相益則親、相損則疏、其數行也、此所以察異同之分也。
新字:故同情而相親者、其倶成者也、同欲而相疏者、其偏害者也。同悪而相親者、其倶害者也、同悪而相疏者、偏害者也。故相益則親、相損則疏、其数行也、此所以察異同之分也。
書き下し
故に情を同じくして相い親しむ者は、其れ俱に成る者なり。欲を同じくして相い疏んずる者は、其れ偏に害する者なり。惡むを同じくして相い親しむ者は、其れ俱に害する者なり。惡むを同じくして相い疏んずる者は、偏に害する者なり。故に相い益すれば則ち親しみ、相い損すれば則ち疏んず。其の數行わるるなり。此れ異同の分を察する所以なり。
現代語訳
だから、思いを同じくして互いに親しむのは、ともに成し遂げる者たちである。欲を同じくしながら互いに疎んじるのは、一方だけが害を受ける者たちである。憎むものを同じくして互いに親しむのは、ともに害を受ける者たちである。憎むものを同じくしながら互いに疎んじるのは、一方だけが害を受ける者たちである。だから、互いに利し合えば親しみ、互いに損ね合えば疎んじる。その道理が行われているのである。これが、同じところと違うところの分かれ目を見きわめる理由である。
解説
同じ思いを持っているのに疎遠になる関係と、同じ敵を持っているのに親しい関係。四つの組み合わせが、利害の配分で説明されます。「相い益すれば則ち親しみ、相い損すれば則ち疏んず」——身も蓋もありませんが、当たっています。共通の敵で結ばれた関係が長続きしないのは、その関係が双方に害をもたらしているからだ、という分析も鋭い。提携やチームの結束を見るとき、何で結ばれているかより、その結びつきが双方に利をもたらしているかを見るほうが、先行きが読めます。
この章句が説くこと
相い益すれば則ち親しみ相い損すれば則ち疏んず異同の分を察す利害人間関係洞察
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